最近は日の出が早くなってきているので
カーテンのない環境で寝ている私は自然と起きるのが早くなってきました。
冬は目覚めが遅く夏は早い。
日の出日の入り時間に影響される体質はいまだにかわらないまま・・・
そんな中で目覚めた数日前の薄暗い早朝
わけもなく急に思い立ち、台所であんこを炊いた。
わたしにとってあんこと言えばおはぎ。
あんこを炊くということは、
4年半ほぼ毎日のように通い、働いた小倉の屋台での時間がよみがえることを意味する。
仕込みのおばちゃんたちがお昼から夕方にかけてこしらえたおはぎは
それまで食べたどんな和菓子屋のおはぎよりもおいしく
その記録と記憶は今でも上書きされないままでいる。
夕方4時半ごろから屋台の準備をはじめ
深夜2時ごろに撤収と仕込み所への片づけ作業が完了するのだけれど
屋台を片付けるさいごにおばちゃんが手渡しでお給料と
その日残ったおでんか、おにぎりか、まきずしか、いなりか、おはぎを持たせてくれる。
うちのが世界で一番おいしいと言わんばかりのとびきりの自信と
朝ごはんにでもしてねという愛
表からは見えない準備や仕込み、片付けを含めて
いちばん働いていたおばちゃんの姿を思い出す。
今回、おはぎの写真を撮るのを忘れたなと思いながら探したら
屋台を思い出しながらおはぎを作りはじめたころの
6~7年前くらい前の写真がでてきた。
わたしにとって、おはぎは特別。
静謐で美しくて上品で…という気配ではなく
雑踏と活気に飲み込まれた後の何とも言えない深夜の気配をまとっている。
おこめがとっても柔らかくて
甘さ控えめで
帰宅して冷蔵庫に入れるか入れないか迷わせる
そんな記憶。
現代の優れた情報の海を持ったとしても見つけることのできない
じぶんと、ひとつひとつとの出会いと関係の記憶こそが
曖昧だけれどかけがえのない唯一のことで
そういうことを小さく大事にしながら生活できることが
幸せだなと思います。
今日もかけがえのない一日を〇