うつしき

うつしき

対 話 - 福村 龍太 [ 前 編 ] -

“ものづくりにルールを作らない”

福岡県うきは市にある「日月窯」の二代目陶芸家として活動する福村龍太さんは、作陶する中でいつもこの想いを胸に抱いているといいます。

固定概念に縛られず、実験を繰り返しながら作品と向き合う日々。

その手から生み出された銀彩を施した作品達は日本のみならず、海外の方からもオンラインを通じて注文が入るように、世界各国で注目を集めています。

「振り返れば20代前半は『普通はこうするものだ』という枠にとらわれ、制作をしていました」。

陶芸一家の環境で育ち、オリジナルを追求する過程の中、沢山の挑戦や失敗を重ねてきたと想像に難くありません。

様々な葛藤や体験を経て、どのようにして既成概念にとらわれない発想を育まれていったのだろうか。

作家としてのスタート


陶芸家の父親の背中をみて、福村さんは自分も同じ道に進むことを幼い頃から自然と意識していたといいます。

「陶芸を始めたのは大学からなんです。陶芸の基礎を勉強して、卒業後に父の後を継ぐような形で実家に戻りました」。

作家として強く意識が芽生えたのは、学園祭のとある出来事。

「授業でろくろを回している時は、自分が作った物にお金という価値をつけるということに対してイメージが湧いていませんでした。大学2年の学園祭で、作った器を販売できる機会がありました。下手くそな不揃いの器を一体誰が買ってくれるのだろう?と半信半疑の中、300点作って並べました。いざ学園祭が始まると、1組の老夫婦が足を止めて『すごくいいね』と褒めてくださり、器を選んでくれました。今までに感じた事のない衝撃が頭の中に走って、嬉しさと緊張でお釣りを返す手はガタガタと震えていましたね。思い返せばあのやり取りが作家としてのスタートだったんだと思います」。

情熱は人を裏切らない

窯元に戻り、陶芸家としての活動を始めた福村さん。思い描いていた理想とは程遠く、陶芸の世界の厳しさに直面したと振り返ります。

「卒業後は、とんとん拍子に陶芸一本でやっていける期待を持ちながら窯元に戻りました。現実は描いていた理想とは違くて、数年間は陶芸だけでは食べていけず、アルバイトをしながらろくろを回す日々が続きました。当時はどうしても父の作風に影響されてしまうので、自分は何がつくりたいのかを常に模索していた時期でもありました。でも、そうした辛いと思うような状況の中にも面白みはすごくあって、マイナスをどうプラスに変えていくか。逆に原動力になりました」。

自分が何をしたいのか明確な答えが出ない中でも、ひたすら手を動かし陶芸と向き合う日々。福岡・大名にあるフリースペースのギャラリーを借り、初めての展示会を自ら開催するなど、地道にやれば絶対に成果はでると信じて。

作業場で好きなヒップホップを流し、自分自身を鼓舞しながら、ひたすら毎日制作をしていたといいます。

「初めての展示をしたら、そこから次の展示に繋がったりもしました。自分の意思で一生懸命行動をしたときに、人生が切り拓いている気がしています。なかなか行動に移せない人も多いけれど、やった人には必ずリターンがある。情熱は人を裏切らないと信じています」。

素直に心が向くものを

NY滞在中での作陶の様子。
福村さんにとって大きな転機となったのが、2015年に訪れたアメリカでの作陶体験。きっかけは、SNSだったといいます。

「ニューヨーク在住の女性陶芸家Shino TakedaさんとInstagram上で知り合い、連絡のやり取りをしている中で、『ニューヨークにぜひ陶芸しにきなよ』というお話をいただいので、これはチャンスだなと思いすぐにチケットを予約して、2ヶ月後にはニューヨークを訪れました。初めての海外で、英語も喋れませんでしたが、単身で向かいました。ブルックリンにあるスタジオには、各国の陶芸家が自由に制作をしていて、そこに滞在して1ヶ月間作陶する日々を過ごしました。

日本のように長い歴史や『◯◯焼』のような文化があるわけではないので、現地の陶芸家さんが、ルールにとらわれることなく思いのままに手を動かして、作陶を心から楽しんでいたんです。その姿を見て、自分の中でガチガチに固まっていたものづくりに対するルールが消えました。いままでは ”陶芸はこうやってするもの” という勝手な先入観があって、本当にその考えにとらわれていたと思うんです。いままでの自分を客観視できて、もっと自由に自分の世界観を出していいんだと強く背中を押された経験でした」。

帰国後、既存の方法や常識に縛られずに釉薬の実験を繰り返し、現在の福村さんの作風が確立されていきました。

自分の気持ちに正直に、固定概念にとらわれることなく自由に表現をすること。もしあの時、違う決断を選んでいたら……。

「アメリカでの経験がなかったら、正直今の自分の作風はまだできてなかったです。帰国してから銀彩や鉄系の釉薬を生み出し、自分のスタイルができ、それを貫いていいんだという自信にも繋がりました。身をもった経験をしたことで、僕自身のリミッターも外れた感じです」。

福村 龍太
1989年生まれ。福岡県うきは市吉井町在住。九州造形短期大学研究院生陶芸コース卒業後、「日月窯」の二代目陶芸家として作陶。表現方法を模索する上で、鉱物、天然灰、銀彩など様々な素材を生かし、釉薬の魅せる美しさの可能性を追求する。日々土への感謝を忘れずに、型にはまらない作陶方法で多彩な表現に挑む。

今回の対話を終えて身長180cm、ベンチプレスMAX125kg、ヒップホップ好き。小学校から中学1年生までラグビーをして、それ以降テニス部でも活躍。そんな前情報を聞いていて、取材前に緊張していました。”オールナイト陶芸”と称して夜遅くまでストイックに作陶される姿勢から、下手な質問をすればディスられるんじゃないかと。勝手ながらそんな心配を抱きながら臨んだ取材当日。「話すのはあまり得意じゃないんです」。にこやかな表情を浮かべ、優しい口調で話す福村さん。どの質問にも自分の言葉で話されていて、作品や人との関係に対して真っ直ぐな姿勢が伝わりました。次回の後編では、作業工程に通常の4倍程の時間がかかる銀彩や制作の過程について執筆予定です。
聞き手・文 : 小野 義明

[ 展示会情報 ]

陶芸家 福村龍太 展
日程 2021年2月20日(土)ー2月28日(日)
※期間中休みなし
時間 13:00-18:00