うつしき

うつしき

対 話  - 任飢餓 宥子 -

中国・杭州でアトリエを構え、古布を用い一着ずつミシンと手縫いで仕立てる布作家「任飢餓 宥子」。
 
作り手である飢餓さん、宥子さんは、夫婦で活動をしています。
 
飢餓さんは、主に染色や生産管理、写真撮影などのビジュアル作り、宥子さんは、手縫いなどの服の制作を担当。
 
「任飢餓 宥子」の衣服を初めて身に纏った時に、自分の肌に寄り添うような心地良さがありました。
 
どうして古道具に惹かれ、ハギレや古布等の良質な天然素材生地を用いて、草木染めにこだわり、一着ずつ仕上げるのだろうか。
 
日本語・中国語の通訳中継を駆使し、真摯に言葉を選ぶ二人の言葉に耳を傾け、話を伺いました。

ものに時間が刻まれることによってしか表れない佇まいや美しさ


10代の頃から洋服作りや古いものに興味を持っていた二人が出会ったのは、中国美術学院に通っていた大学時代。
 
洋服を作る為、古い生地を探している時期に、古道具という言葉に出会います。
 
中国では価値付けられた骨董ではなく、使い古された道具に新しい生命を紡ぐ古道具という概念が広く知れ渡っていないため、その考えを知った時に共感を覚えたと言います。
 
宥子 : 古代から中国にも、土地に自生する自然素材を使って、生活品を作っていました。自然からの恵みをいただき、そのことに感謝の念をもち、縫いながら、直しながら、ものを大切に使うことを心がける。古いものや生地には、触れ合ったときに生まれてくる痕跡や時間の記憶があります。ものに時間が刻まれることによってしか表れない佇まいや美しさに惹かれ、それを自分達が作る衣服にも表したいと製作しています。

天然素材を用いて、自分の手が届く範囲内で、一着ずつ仕上げたい


大学卒業後、二人は別々の道を歩みます。
 
飢餓さんは、日本の作家の器を紹介するギャラリーで一年程勤務。宥子さんは、上海の服飾会社で洋服のパターン作りを担当。勤務を続けている内に、「天然素材を用いて、自分の手が届く範囲内で、一着ずつ仕上げたい」という思いがを募り、1年間勤めた後、杭州に戻ります。
 
好きなものに対しての共通点が多い二人は、24歳の時に「任飢餓 宥子」として独立。手に入った糸や布と向き合い、独学で染色を繰り返し、無心にものづくりをする日々だったと振り返ります。
 
宥子 : 素材に手を触れ、これでいいのかと、自分の身体や心の声にひとつひとつ相談しながら作業を進めていきます。人の身体に触れる部分であれば、自分の手の抵抗感や痛みでそれを確認し、ものの姿かたちは、自分の「内なる自然」と答え合わせするように、紡ぎ出していきます。

どんなに時代が変わっても、変わらないものがあると信じて


中国圏最大のソーシャル・メディアWeiboやWeChatでの発信、中国内での展示を繰り返し、着実に二人の想いは広がっていきます。
 
そういった状況下でも、まだ中国では、化学繊維と違い、色落ちしやすい天然素材等に対しての理解は低いと二人は言います。
 
飢餓 : 襤褸や端布等の素材での洋服作りや、天然素材を用いた草木染めは、産業化の波に洗われ、消えてゆきつつあるのかもしれません。ファッションや流行ではなく、どんなに時代が変わっても、体制や経済が変わっても、ほんとは変わらないものがあると信じて、素材に耳を澄まし、衣服を作り続けたいです。

国や場所にこだわらず、続けていく


「任飢餓 宥子」として日本では二度目、うつしきでは初めてとなる展示。
 
実際に手に取り触れることでしか伝わらない「ものが持つ想い」は多くあります。展示会に並んだ衣服に袖を通すと、裏地の糸が手首と擦れないように、細かな縫製の仕方によるものだと気付かされます。
 
飢餓 : 今回のうつしきでの展示や訪れた方々との出会いのように、国や場所にこだわらず、自分達の想いに共感し、気の合う好きな人達と、これからも一緒に続けていきたいです。

今回の対話を終えて二人の話を伺うと、入り口は洋服であっても、または日本であっても、中国であっても、辿り着く場所は作り手の想いが大切なんだと気付かされます。直接的な言語でコミュニケーションがとれなくても、「ものが持つ想い」は、国境や物質を超えて、身に纏った人の心に届いてく。うつしきでの次回の展示は、2020年12月を予定。いまからその時が待ち遠しいです。
聞き手・文 : 小野 義明

[ 展示会情報 ]

任飢餓 宥子 作品展

中国杭州で活動する任飢餓 宥子の作品展を行います

初めて彼らに会った時彼らの着ている服が素晴らしく格好良く

どこのものか尋ねた時に自分たちで作っていると言う

その時にすぐさま自分用にとオーダーした

彼らとは国も違えば育ってきた環境、見てきたファッション、文化的歴史的背景の全てが違う

そんな彼らだからこそ作れるものがある

自分自身服が好きで服飾の専門学校を出て昔スタイリストの仕事もしていた

ストリートや古着、モードなどその時勢と背景を自分なりに見てきたつもりだ

海外を旅する中で和服が根底にある自国のファッションって一体何なのだろう

アメリカやヨーロッパの輸入された価値観のファッションではなく

東洋の美意識や文化を軸とする装いとは何だろうと日々模索する

中国杭州にある彼らのアトリエに立ち寄った時どこか新しい感覚に見舞われた

決してただの懐古主義ではない古物がセンス良くディスプレイされた様

そして何よりそんな彼らの作品を見て今回の展示が実現します

古道具と日本をこよなく愛し、襤褸や酒袋などの古布に美を見出す

異国新世代の新しい感覚を是非ご堪能あれ