うつしき

うつしき

思考<行動

ちょうど一年前だっただろうか。

 

「自分が作りたいものを作るとしたら何か?」

 

とうつしきの小野さんに言われた。

 

自問自答するばかりで数日、数週間、数か月、結局何も生み出せない時間だけが過ぎていった。

 

今まで、人から依頼される側、つまり受注する側だった僕は、自分が作りたいもののことなど考えることを忘れていた。

 

なぜ忘れてしまったのか、振り返ること、およそ10年程前。

 

僕は学生時代にある町のガイドブックを作ることをきっかけに写真や映像と出会った。

 

機材も知識も技術もない中、手探りで撮り続けることがその時は楽しくて楽しくて仕方がなくて、一年かけて作りあげたガイドブックを見て

 

「めっちゃやばいのできたわ…」と感動したことは今でも覚えている。

 

実際は、プリントされた写真は横に伸びていたり、デザインはぐちゃぐちゃだし、変な線が表紙には入っていたりと今では見てられない。

 

ただ、そう思い込んでしまうほど、モノづくりの楽しさに惹かれていったのは確かである。

 

少しづつ機材も揃い、技術や仕事の流れを学ぶためスタジオに入ったり、徐々に受注の仕事を任されていく時間の中で、
いつものまにか、自分が作りたいものを作ることよりも、誰かが作ってほしいものを作ることの方が圧倒的に増えた。

 

今思えば、おそらくこの時くらいから自分の作りたいもののことを考えなくなったのだと思う。

 

「写真・映像=楽しいもの」だったものが「写真・映像=生きていくためのもの」に変わっていった。

 

話を最初に戻そう。

 

「自分が作りたいものを作るとした何か?」

 

一年前の僕は頭の中だけで自分が作る意味や理由を探していた。

 

もじもじ考えているそんな僕の姿を横で見ていた小野さんこう僕に言い放った。

 

「撮らないとなにもつくれんだろ、お前は。」

 

そう言われてから、自然物を一年ほど撮りためて毎週YOUTUBEで更新するというルールを設けた。

自然物を撮りためていったものが、太田美帆さんの「春と神様」のMVに使うことになるとは、撮り始めたころは思ってもいなかった。

 

一年前に自然を撮り始めなければ生まれることのなかった映像がこうして形となり存在している。

 

本当に小野さんが言うように、僕は撮らないと何も生み出せないのだと思う。

まだまだ自分が作りたいものが何か?

 

答えはまだ何かはわからないけれど、今は写真や映像を撮ることが楽しい。作る意味なんてそれだけで十分な気がしている。

 

2021年も残り二カ月。考えすぎず最後の最後まで飛び回ります。
 
小田雄大