2年ぶりに清水志郎さんの展示が7月23日より始まりました。
失敗なのか発見なのか。偶然なのか必然なのか。その葛藤の中で出来上がった作品たちが、うつしきの店内に並んでいます。
今ある価値観を置いて、目の前にあるモノと偏に対峙してほしいと思う今展。
また、今回は野焼きの作品の一部を入札制で行っています。実験好きな志郎さんだからこそできる試み。
オンラインでは木曜日よりご覧頂ける予定ですので、こちらもどうぞお愉しみに。
そして、喫茶室では先々週、初の小田写真館が賑やかに行われました。
8月は13日と20日に開催しますので、ご縁ある方はこの機会にどうぞ。
わたしは最後の妊娠を記念してマタニティフォトを。今しかない姿を後で振り返る愉しみにしたいと思います。
そんな妊娠29週目の大きくなったわたしのお腹が、我が子たちの間で物議を醸しているから面白い。
6歳の娘は、自分がなぜ存在しているのか疑問はないようだが、赤ちゃんがなぜ母親のお腹に存在しているのかはとても気になるようである。
4歳の息子はお腹に赤ちゃんがいるということよりも”大きくなったお腹”に興味があるらしい。そして自分も産むと言っている。
1歳10ヶ月の娘は”赤ちゃん”と口にするものの、わたしたちの思う赤ちゃんと認識が一致しているのか怪しいところ。
10歳の息子はいつ私が入院するのか、なぜ5人も産むのか気になるようで、現実的だ。
娘はまだ会ってもいない生命を誰よりも気にかけていて、
雷が鳴った日は、”ママ、赤ちゃんを守って!”と指示されるほど。
そんな彼女はお腹をさすりながら”かわいい、かわいい、赤ちゃん。どうしてここにいるの?”チューッと言いながら訪ねていた。
こんなに小さな頃から母性のようなものがあるんだからびっくり。
可愛がりたいと思わせる赤子の正体は一体何なんだろうか。
ちびまる子ちゃんの作者さくらももこが自身の妊娠体験を元にしたエッセイで綴っていた。
“人の誕生が老人の姿だったらどうだろうか。
年をとるごとに若がえってゆき、老衰で亡くなる頃には賢くて可愛いらしい赤ん坊になる。
そしてこの世を去る。
そうなったら家族の悲しみは非常に大きい。
もしこんな世界だったら出産率は下がり、人類は滅亡するだろう。”
その逆世界はどんなだろうか。
ベンジャミン・バトンという映画でブラピが最後、認知症になり赤ちゃんの姿で愛する人に包まれて亡くなるという話を思い出した。それが普通の世界だったら…と想像すると、やっぱり今の順序であって欲しいと思ってしまう。
人もこの宇宙の循環の一つ。今ある自然の摂理が本当によく出来ているということに、あらためて気づく。
自分ではコントロール出来ない身体の変化を身を以て体験するからなのだろうか。
妊娠中の身体は誰かに操られているような感覚がある。
この絶妙な層で成り立つ世界を壊してはいけない
人の位置を高いところに置きすぎてはいけない
わたしたちはわたしたちのところで生きるようにと、
さくらももこのエッセイのタイトルでもある
”そういうふうにできている”のだから、と教えられているようだ。
大きなお腹はじきに元に戻る。
だけど、この世の在り方に感謝し続ける事をこれから先もずっと忘れてはいけない。
写真を見てはこの時の経験を細部まで思い返したいと思う。
小野佳王理