インドが好きだ。
それは観光地としての好きではない。
たとえば「好きな国は?」と聞かれたとき、答えるのに一瞬のためらいもいらない。もう、身体が反射的に応えてしまう。
地図の上のどこかではなく、自分の中にある“もうひとつの感覚器官”のようなものだ。
反応する皮膚の層が、インドという風土に共鳴する──そんなふうに感じる。
かれこれ20回以上、仕事を通して訪れている。
毎回違う顔を見せながらも、どこかで必ず「おかえり」と迎えてくれる。
なかでも、2年ぶりとなる今回はとりわけ強くそう思った。
飛行機を降り、空気の匂いを吸い込んだ瞬間に、胸の奥がふわりとほどけた。
インドは、友人の家のような親密さを持つ場所だ。
言葉の壁も、文化の違いも、そのすべてを超えて、まっすぐ「核」を揺さぶってくる。
だからここでいつも“自分という存在の輪郭”をなぞり直すことになる。
この仕事をしていなかったら、インドとの関係はまったく違っていたかもしれない。
ただの旅行者として訪れていたなら、ここまで深く“絡まる”ことはなかっただろう。
でも今の自分にとって、旅と仕事は完全に“にじんで”いる。区別はとうに曖昧になった。
「出張ですか?」と聞かれて、うまく答えられないことがある。
それは出張なのか?旅なのか?インスピレーションの採取なのか?
おそらくそのすべてであり、そのどれでもない。
ただ、確かなのはインドでの“仕事”は、いつも自分を変えて帰してくれるということ。
その変化は言葉にならず、ゆっくりと沈殿し、
やがてジュエリーになり、言葉になり、人とのつながりになっていく。
インドには、未整理の美がある。
パターン、色彩、素材、風の匂い、土の音、祭りのうねり ──
どれもが、“言葉になる直前のインスピレーション”として心の中に溶け込んでいく。
何かを創る者にとって、あのカオスは、秩序よりもはるかに価値がある。
理屈ではなく、感覚に火をつけてくるものが、そこらじゅうにあるからだ。
それらを完全に理解しようとするのではなく、ただ“浴びる”。
この国との正しい関わり方は、きっとそこにある。
第二の故郷──そう言うと、どこか大げさに聞こえるかもしれない。
でも、自分の中の深い場所に、確かに“帰属感”のようなものがあるのだ。
喧騒に包まれ、ひとりになることができない国で、
なぜか、もっとも“自分に還る”時間を過ごせるというのは、不思議な逆説だ。
インドの光は、ただ明るいのではない。
それは「内面を暴く光」でもある。
その光に何度も照らされて、私はまた、自分の輪郭を描き直す。
旅は、移動ではなく、変容のプロセス。
仕事は、作業ではなく、自己との対話。
そしてインドは、自分にとって「そのどちらもであること」を許してくれる場所だ。
ここで拾ったアイディアたちは、静かに芽を出し、
かたちとなって、人の手に届く。
だからまた、来たくなる。
仕事として。旅として。人生として。
インドが好きだ。
きっとこれからも、変わらずに。