うつしき

うつしき

ひとりの主人公として

一年を振り返る年の瀬。
自分のことは勿論、家族のことも振り返る。

 

次女一歳三ヶ月は今月に入り、すたすたと歩くようになった。
長女五歳は初めての習い事に緊張しながらも自ら一歩を踏み出した。
長男十歳は家族と離れ二泊三日を過ごす。
次男三歳は…口調が荒くなったが、おっとりした行動に皆が癒され、相変わらず可愛がられている。

コロナ禍で園や学校の行事の殆どが中止だった二年間。

大きく成長する中で、彼らの変化の重なりを見過ごしていたと思う出来事が最近続いた。

 

私自身を振り返ってみると、始めたことが多い一年だった。
“学びの場” ”ヨガ” “サーフィン” ”秋の衣の企画”
刺繍の作品も以前より取り組めるようになった。

自分のペースで出来ていることで、大変でも、その取り組んでいることから大きな喜びをもらっているから愉しく、これからも続けていきたいことばかり。

これはスタッフが増えた事はもちろん、皆が学校や園へ通うようになったお陰である。

すべてが上手く、充実しているわけではない。

子供を育てること、特に小さな子供と一緒に居るには相手の感情に寄り添いながらも自分の感情をコントロールすることが必要である。

字面だけ見たら、そんなの当たり前かのように思えるけれど、これが難しい。
感情を抑制する立場が毎日ずっと続き、物事も思った通りに行かない。

小さな石が積もり積もって何も出来ていないように思う事がしばしばあって、ここに居る事すら苦しくなっていた時も。

 

心身共に、家族、うつしきの中だけではなく、外に居る時間が欲しい。

それを求めた一年だったように感じます。
そうした事によって、自分と向き合い整理ができるようになった。
今も感情的に怒ったり、泣いたりするけれど、平常の自分が居て、解決に向かおうとする心の動きが見られる。

大人になったなぁ…笑

そうそう、結婚をしてからいつの間にか自分の中で自分が主人公ではなくなっていて、
ずっとそれに気づかないまま過ごしてしまっていた。
今は主人公で有りながらも、誰かと共に生きている感覚がある。
母親として、妻として、うつしきの一人として、その感覚を取り戻せたことが嬉しかった。

自分のことばかりに夢中になり、子供たちは子供たちで、主人公として、それぞれの場所で過ごし、”今”を生き、積み重ねていたことにようやく気づく。

先日の和歌山ensでの展示では、長男は自分の意志で家に残る事を決め、祖父母に習い事の送迎を頼んでいた。
幼稚園のときから人前で発表をする事が好きだった彼はそれを取り戻したかのように、ダンスの発表会で生き生きとしていた。誰かの為に動き回る長男にはやりたい事を謳歌してもらいたいと思う。

娘はそんな長男のダンスの発表会を見て感動し、”今度は自分が感動させる人になりたい”、”こうしてはいられない”と誰も知らない中に飛び込んだ。その発言にびっくりするが、彼女が上手くダンスができず、涙を堪えて出てきた時は私まで悔しくてどうにかしてあげたいと思った程だった。

 

主人公たちが集まると、賑やかだ。淡々と流れていく日々の中にも沢山の驚きや笑い悲しみが側にある。毎日の保育園の支度だって、無駄な時間じゃない。スモックの汚れを見る度に彼らの今日を生きた熱いパワー感じる大切な時間だと思うようになった。

どんどん離れていくことは寂しい。でもそれぞれの場所で輝くことを一番に願う。

 

さて、来年は今年始めたことを続けていくことは勿論、もう一歩深く潜っていきたいと思います。

年初めは、yasuhide onoの広島cite’での最後の展示が元旦より。大切な種を守るような実をイメージした刺繍のお守り袋のネックレスをお披露目できるように制作中です。

来年最初の学びの場は、太田美帆さんをお呼びして、聖歌をうたいます。

内側から放つ美しい自分の声と過ごした後は、自分の為の時間を最後まで過ごして欲しい、そんな気持ちから

お昼は植物料理家のきみえさんのお野菜コースをご堪能して頂く内容となっております。

(その夜は美帆さんのライブもありますよ!)

2022年1月22(大人の部)、23日(子どもの部) にchikuni 展と併せて開催を予定。詳細は追って告知しますのでこちらも愉しみにお待ちくださいね。

 

それでは2022年も、家族、うつしき、まるごと

どうぞ宜しくお願いします。佳いお年を。

 

小野 佳王理