2022年1月、うつしきにて年初めの展示をしてくださったchikuniのアワヤタケシさん。
彼が生み出すものは簡素で、しかし古物のような奥行きがあり、新しい家にも古い家にも、暮らしにも舞台にも、“そこにそれしかなかった”と感じさせる力があります。
ご存知の通り、chikuni作品には沢山の人々が求める「定番」が存在します。自由と堅実、どちらも味方につけたものを生み出す人って、どんな人なのでしょう。
うつしきとして3回目となる今回のインタビューでは、社会全体が大きく動揺している昨今の話を皮切りに、独立16年目となるアワヤさんが考えていることについて伺いました。
どうぞお楽しみください!
―アワヤさん、よろしくお願いします。
アワヤ : おねがいします。
―早速ですが、この2年間どんな日々でしたか?
アワヤ : 今だから言えるんだけど、ちょうど2020年の3月にフランスの買い付けに行っていて。まさにコロナが出始めのころで、得体が知れないからと周りの人から止められつつも、自分としては“バイヤーがいないかも”という前向きな感じで行くことにして。
―ギリギリのタイミングでしたね。
アワヤ : 当時フランスでは5000人以上のイベントは開催中止ということで、僕が行ったマーケットも以前とは違って閑散としていて。そんな中でなんとか無理やり、手荷物に詰めるだけ詰めて持って帰ってきた記憶がある。
―その後いよいよ本格的に新型コロナウィルスの影響が世界的に出始めていくわけですが、chikuniとして変わったこと、変わらなかったことはありますか?
アワヤ : ここ近年、chikuni自身が「木工」という言葉では収まらなくなってきたので「室内装飾品づくり」と言うようになっているんだけど、そのことと、みなさんが室内で過ごす時間が増えることでインテリアにお金をかけ始めたことのタイミングが重なったのか、実は今までにないくらいの注文が続いているんです。
―そうか!
アワヤ : そう。ただ、続いているのはとても有難いことなんだけど、作る量が倍になっちゃっていて。もちろん売ることやお金を頂くことは大切だけど、そこばかりに意識が向くと、作風や生活感に影響が出てしまうなと。年齢も年齢だし。
―いやいや、まだお若いです。
アワヤ : でも本当に、コロナ以降の2年間で、これからのchikuniとしての動き方を考えさせられています。少なくとも、そういうきっかけにはなっているかな。
―今回改めて拝見して、chikuni作品全般に“主張しすぎない最小限の意図”みたいなものを感じるのですが、そのあたり何か意識があるのですか?
アワヤ : 装飾品って、なにかを飾るわけじゃないですか。照明だったら、なにかを照らすとか。 特に今作らせてもらっているド定番たちは、脇役でいいと思っていて。飾るものを引き立てるような道具であってほしいという想いがあります。
―「定番」というと。
アワヤ : 「定番」は、とにかく誰しもが使えるようなものを目指していて、万人に使ってもらえることを狙っています。そうじゃないと「定番」の意味がないですから。……でもやっぱり、「定番」をつくるのはなかなか難しい。
―ある種、作り手の衝動や個性を抑えることでもあると思うのですが、すんなりと着手できたのですか?
アワヤ : もちろん悩んだ時期はありますよ。“こういう人”に手に取ってほしいなんて思ったりとか。でも、割り切っているんです。 もしかすると、家具屋出ということもあってそれができるのかもしれない。家具屋は「定番」がいっぱいあるから成り立っていた。chikuniも、ド定番たちに支えられて、そのお陰で、好きなものや自分にしかできない形のものを作らせてもらうことができていると思っています。
―それにしても、「誰しもが使える」というのは言葉でいうほど簡単なことではないと思います。作品を届ける対象の幅を広げながら、こだわったもの選びをする方の手にも届いている現実を含めて……。
アワヤ : それは嬉しいことですよね。そもそも、自分が作りたいものを作っている人がいないから独学でもの作りをやらざるを得なかったところがあって。だから、いろんな“ものたりない”から始まっている。「定番」に限らずだけど、アソビがあるもの、動きがあるものが好きというか。実際に動くというだけではなく、飾ることによって空間に動きが出るとか。音具の扉も、照明の関節も、そういうことはすごく意識しています。
―今回の展示で持ってきて頂いた作品の中には新作もありますが、どういうところからchikuni作品は生まれるのでしょう。
アワヤ : 例えば自分が物を選ぶとき、ぱっとみて、これいいなぁと、そこから入る。その感覚が僕にとってすごく大事です。きれいなものはきれい、でいい。集めるantiqueにしても、まずはその感覚があって、そこから背景を調べて美しさと背景が重なったら買おうとなる。そうして選んだものを毎日自分の目に入る場所に置いていると、なんかこう、くるものがあるんだよね。あとはアイヌの文化や村の景色なんかもそういう存在で、がんがん自分に入ってくる。今回の新作、書簡燈もそういう中で「つくりたい、つくりたい」となって生まれたもの。いいものから、エネルギーをもらっています。
chiku-niはアイヌ語で「樹」を意味する。家具屋を辞めた20代後半、通っていた図書館で偶然手に取ったアイヌのひとの自伝本が、アワヤさんとアイヌの出会い。仕事を探すのではなく独立をしようと決意したタイミングと重なる。
―そうして生まれた作品をみなさんに届けられること、嬉しいです。
アワヤ : お客さんの手に届くまでの過程ってとても大事だと思っていて。こわいのは、気軽に買える=気軽に捨てられることなんですよ。それは、大量生産に慣れてしまった人がやる行為で、日本の現代社会を映し出しているというかね。
―確かに。
アワヤ : 僕自身、昔からそれが嫌で。バブル期にインテリアデザインをやっていた時、自分が寝ずに考えたものが採用されて数百万円かけて作っても、半年たったら次のデザインに切り替わる。もう、次から次へと。で、バブルが飛んだら逆にトーンダウンして、企業がデザイナーを切り捨てて、社会にどうでもいいデザインが増えてしまうっていう流れを見てきたから。
―時間をかけて真剣に作ったものがそうなるのは悲しいですね。
アワヤ : とにかく、売るだけ売って、気持ちのない人が買ってしまうことは避けたい。chikuniでもオンラインをしているけどカートはつけていなくて、ひとりのお客さんと5往復くらいメールでやり取りをして買って頂いていて。いかに自分たちらしいオンラインの売り方にしていくかは、ひとつ課題でもありますね。
―その分労力はかかるでしょうし、悩ましいように聞こえます。
アワヤ : 今話したことはどれもこれも、支持してくれるお客さんがいるということで、とても有難いことなんです。例えば転売なんかにしても「定番」をつくっている以上は使命でもあるから、ある程度覚悟しないとやっていけない。それでも、それを抑えるのもまた自分の使命だと思っているところがあります。
―これからのchikuni、そしてアワヤさんはどう進むのでしょうか?
アワヤ : 個人としては、冒頭でも話したけれど仕事と遊びと生活のバランスがとれるようにしていきたい。昨年アイヌの村で出会った人の暮らしぶりを見て、生きるってこういうことだよなぁと感じさせられたこともあって。でもまぁ、もう少し先のことになるかなぁ。しばらくは走り続けていくのかもしれない。
chikuniとしては、スタッフの力も借りて定番をつくりながらも、今後はアートワーク、いわゆる一点ものの制作も増やしていきたいと思っています。今回の展示でもいくつか玩具みたいなものや意匠を凝らした照明の新作があるけど、もっとそっちに力を入れていきたいなぁ。
―ありがとうございました。
アワヤ : ありがとうございました。
今回の対話を終えて大らかで、明るくユーモアたっぷりのアワヤさん。もの作り作家という言葉が今ほど一般的でなく、ましてや異素材を組み合わせた作風を受け入れる人が少ない時代から自分がつくりたいものを真っ直ぐに生み出してきた眼差しに「プロとはこのことか」と感じずにはいられません。オーダーしてくれた方の手元に作品が届くまでの数ヶ月という期間を、「楽しみな気持ちでいてほしい」と語る顔はとてもやさしいものでした。
巡り合った目の前の作品と、いつまでも一緒に時を刻んでいきましょうね。
聞き手・文 : のせるみ
chikuni展
1月22日(土) – 1月30日(日)