「理由のいらないものづくり」
そういうと誤解を招いてしまいそうだけれど、うつしきにて3度目となる展示を迎えた野原の佐藤夫妻に話を聞き終えた後、頭に浮かんだのは間違いなくその言葉でした。
インタビュー中まるで春の霞に包まれていたかと思うほど、彼らが発する声はたっぷりと空気を纏っていて、時間は穏やかに、方向性は自由に存在しているということを言葉以外のもので伝えてもらったような気がします。
「今」を積み重ねた先で現在の生活に辿り着き、自然と成りゆくままに手を動かす野原。ひとつひとつの出会い、見てきたものや触れてきたもの、感じてきたことに人生は導かれているということを感じずにはいられない物語。美味しいお茶を片手に、ぜひご覧くださいね!
もともと専門学校で服飾を学んだあと、アパレル関係の仕事に就いていた健司さんと野原さん。健司さんは会社を辞めて仲間とアトリエをシェアする形で独立したのち、一度は会社に戻ったといいます。そして最終的には「野原」としての活動を開始。
そう聞くと自分の名前でものづくりをして生きていきたい気持ちがずっとあったように感じますが、意外や意外「むしろ、ものづくりで無理して食べなくてもいいくらいの考えでした。」と、二度目に会社を辞めた当時を振り返ります。
はじめての独立をしていた時期、がむしゃらに頑張りすぎて身体を壊した経験もあったことから、ものづくりだけで生きていきたいという意識はそれほど強くなかったと言います。
「それよりも当時は、気が合う友達と自然の中でゲストハウスをやりたいよねという話をしていて。瞑想をすることで自分にとっていい変化を感じられた経験もあったから、メディテーションセンターのようなものを作りたいなと思っていました。」
会社を辞めた後は、友人とタイ、ラオス、インドのお寺やメディテーションセンターを回る旅に出ます。メディテーションセンターといったものの、具体的に帰ってきて何をするかなんて決めてないまま、旅することが目的の旅。なんと、パートナーの野原さんには「無期限で行ってくる」と話していたそう!
なにかが見つかるかもしれない。
旅に出たり、遠出したりするときのなんとも言えぬ期待感と高揚感は、長期海外旅行をしたことのない私でも想像に難くありません。
しかし、旅は必ず終わる日が来ます。帰国のきっかけはなんだったのでしょうか。
「旅を続ける中で、自分の暮らしの中に探していたことの続きがあるんじゃないかって感じて。何かを探しに外に旅に出るのではなくて、自分自身の中にもう全てがあるような気がしたときに、帰ってパートナーの野原と暮らし始めたいなと思ったんです。」
ただただ自分たちの暮らしを営みたいという想いが強かった。
そう話す健司さんの眼差しには、外側ではなく内側に、遠くではなく隣りや足元にあることに目を向けて歩んできた柔らかくも確かな光が宿っているように見えます。
旅を経て、再びものづくりの道へと戻った健司さん。
思い返せば、もの作りだけで生きていこうと思わなかった時期も、遠方の友人への手土産に小物入れなど小さなものを作って持っていくようなことはしていたといいます。
ものづくりだけで食べていくということではなく、もしかしたら農業もやるかもしれないし、違うこともするかもしれない。「これだけをして生きていかなきゃいけない、なんてことはない」という気持ちで舵を切り始めます。
「独立したらうちで展示をしよう!」という、うつしきオーナー小野の声掛けも背中を押してくれたと教えてくれました。
そして、活動名“野原” というのは言わずもがな、パートナー野原さんの名前。その理由を健司さんに尋ねると、「そこにあった、からかなぁ。」という一言。
「2人で活動したいという気持ちはあったから、僕の名前ではないなと思っていて。自分にとって大切な存在で、そこにすでにあったからこの名前にしようと思ったんだよね。」
一方パートナーの野原さんは、この活動名に「居場所をもらっている」そう。
「“野原”といいながら実際は健司君がほとんど作っているから、私は部品とか、ちょこちょこお手伝いしている感じなんだけど。でも、名前がそこにあるから居場所をもらっている感じなんです。」
誰しもが決してひとりだけでは営めない、支え合って成り立つ「暮らし」のような在り方で存在しているのが“野原”なのかもしれません。
今回、3度目となるうつしきでの野原展。並ぶ作品は毎回違う表情をしていて、展示を重ねるごとにエネルギーが増しています。
「制作は常に自分たちの状態を反映するものでもあるから、その都度違っていて。特に、住む土地に従い変化する暮らしの影響で、作るものもおのずと変わっている感じがします。」
健司さんも野原さんも関東育ち。より自然の多い環境で自分たちの生活を営みたいという想いから、それまで住んでいた東京を離れ長野に移住したのが約4年前。そして昨年秋には、ご縁が巡って京都の山村へ居を移します。
「長野では畑をすることも育てた植物で草木染をすることも初めての連続で、とても楽しい日々でした。そのうち段々と“自然の中で生活する”ということが日常になっていくにつれ、自ずとそのことが反映されたものを作るようになっていました。」
変化というと、前回の展示までは小物メインでしたが今展では衣が沢山並んだことが印象的です。
元々、パートナーの野原さんには衣を作っていたものの、自分で作ったものを自分で着るということはしていなかったという健司さん。素敵な服を作っている人が身近にいること、古着が好きだったこともあり、特に作品として力を入れることもしていなかったと話します。
そんな健司さんにきっかけが訪れたのは去年の春。もらった梅や桜の木で布を染めるとその色がとても美しく、「この色を生かすには大きな布を染めたい、それならば衣に…」という気持ちが自然と湧いてきたそうです。
「その頃からひとつ段階が変わった感じはあります。とはいえ、長野の作業場は衣を本格的につくるには手狭でだったんですが、ちょうどその頃にご縁あって京都の今の家を見つけることができたんです。そしたら、自分でも無意識のうちに、衣を作る前提の大きな作業台を作っていたり、広いレイアウトを組んだりしていて。幾つものタイミングが重なって、衣を作る流れが来たんだろうと思います。」
生活の環境に従って、生み出されるものも変化していく。当たり前のようでいて、暮らしを営む環境や風土に人間は影響されているのだということを実感することは、自身の内側に耳を澄ませていなければなかなか難しいことかもしれません。
「今は、“手を入れる暮らし”をしているというか。家の修繕を始め、自分たちの空間を自分で手入れするようになってきていて。そういう流れもあって、じゃあ衣も作ろう、作ったなら僕も着よう、みたいに。素直になっていくというか。」
これまでの人生で様々な時間を経た上で、「やっと、自分が作りたいことの芽が出てきている感じです。近道か遠回りかわからないけど…今、大きな制作の変化を迎えている気がしています。」
そう語る健司さんの肩に余分な力は入っておらず、どんどん軽やかに、どんどん素直に流れに身を委ねていることが伝わります。
最後にこれからやってみたいことについて伺うと、「お米作り」との答え。
「完全に自給自足みたいな感じではなくて、自分たちで育てたお米や野菜を暮らしの中で食べられたら嬉しいなと思って。それに伴って野良作業の服はこれから作ることになるかな。暮らしの中で必要とされるものをその時々に作っていくのかな。きっと、暮らしと共につくるものも研ぎ澄まされていくと思います。」
暮らしとして作りたいものも、商いとして作りたいものも、いつも一緒に境目なく交わり影響を与えあっている。これからもきっと“野原”の作品は、彼らの生活を反映しながら等身大に移ろい、手に取る人の存在を優しくも確かに包んでくれることでしょう。
今回の対話を終えて
インタビュー中、質問すること自体が野暮に思える瞬間が何度かありました。
それは2人が、その瞬間その瞬間に自身の内側の声に耳を澄ませて道を進んでいるからかもしれません。
確固たる何かを目指す歩み方ではなく、揺らぎを肯定しながらその都度その都度の流れに心地よく身を委ねる泳ぎ方をしているようにも見えます。
記事には全てを書ききれませんでしたが、健司さんが話している間に横で頷く野原さんの存在と2人のエネルギーの関係性は、屋号である以上に”野原”作品そのものかもしれません。
1人だけでは生み出せない、彼らの暮らしを丸ごと映し出す鏡のような作品たちと次に会える日が楽しみで仕方ありません。
聞き手・文 : のせるみ
野原×花月日 作品展
3月19日(土) – 3月27日(日)