うつしき

うつしき

対 話 - 日置 哲也 -

「あくまで土屋です」そう真っ直ぐに言い切る日置哲也さんの作品は、2022年2月うつしきにて初めてとなる展示会で多くの人の心と手を動かしました。

日置さんが在廊中「いろいろ遊んでみてください」とお客様に声をかける姿を見たときの驚きと妙な納得感といえば、どう説明できるでしょうか。川辺に転がる石ころの面白さや、はらりと落ちた葉っぱの葉脈の美しさに思わず手が伸びてしまうような下心のない純粋な土との距離感が、その言葉の背後にあるのかもしれません。

今回が初めてとなるインタビューでは、陶芸家だとか表現だとか言ってしまうことが憚られる彼のものづくりが、今日に至るまでのお話を伺いました。春の気配とともに、どうぞご覧ください!

日置 哲也
岐阜県瑞浪市にて、作り手と土を結び付ける橋渡しとしてカネ利陶料(有)で陶土の製造、販売を行う一方、自身の作品制作も続ける日置哲也。火と土の原始的な表情を彷彿とさせる作品群は、焼き物の主原料になる原土を用いて、その色や質感を確かめるように作陶している。
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土と関わりはじめるまで


―早速ですが、日置さんはどうして土と関わる人生を歩むことになったのですか?

日置 : 元々、何がしたいかということもないような、とてもぼんやりした子供で。
ずっと剣道をやっていて、将来のことは何も考えずに高校・大学と進みました。それから大学生になってようやく考え始めたんですよ「このまま就職してサラリーマンでは終われないな」って。

―へぇ。

日置 : それで、大学時代に放浪して。ものづくりに少し興味があったのと、職人への憧れがあったこともあって、竹細工とかガラス細工とかの工房をふらふら尋ねて回りました。そのときに陶芸との出会いもあって、焼き物をやってみたいな、と。

―幼い頃からものづくりが好きだったのですか?

日置 : 好きだったとは思いますよ。でも、美大に行く人や芸術に携わる人はどこかしら特別な人だと思っていて、まさか自分がそこに行くなんて思ってもいなかった。美大にいくという先輩はいたけど、全く興味が出なくて。学部も、ただの経営学部です(笑)なので大学卒業後に専門学校で陶芸を学び始めました。


―その後は陶芸家への道まっしぐらですか?

日置 : 専門学校卒業後の4年間は弟子をしていました。当時は、“仕事先”として入った感覚もあって。朝から晩までずっと作り続ける中、心のどこかで「こんなことじゃないのにな」「こんな作り方しないのにな」と感じながらも、仕事として作陶をこなす日々でした。

―何に対して違和感があったのでしょう。

日置 : とにかく早く・沢山・きれいなものを作るという工房で。そのやり方や売り方を身をもって経験するうちに、「僕にはできないかもしれない」と思ってしまったんです。でも、そう思っているはずなのに、3年4年してくると慣れてしまって当たり前に師匠のやり方ができてしまう。だからいざ自分のものを作ろうと思った時に、同じことをやっちゃうんです。師匠と。手が覚えてしまっているんですね。「僕はこうでないやり方で進みたい」と感じていたのに、師匠と同じようにしかできない自分自身に直面しました。

―あぁ、ショックですね。

日置 : もう、めちゃくちゃ。ものすごくショックで。最低限の基礎ができることと自分の色を出すことの間にある壁を越えられなかったというか、自分の作るものに対する嫌悪感みたいなものが生まれて。作ることが全く楽しくなくなって、特に器はもう無理だとさえ思いました。挫折した感じです。自分のつくるものが全然好きじゃないし、どこに持っていけばいいのかも分からない。「できるんだけど、自分のものが作れない」という、行き場のない時代に突入したんです。作家の出世ルートである器が作れないし嫌いになるという。30歳手前のことですね。

与えられるものから、掴みにいくものへ


それからどうして「土屋」に?

日置 : カネ利(カネ利陶料有限会社)は奥さんの実家で、偶然の出会いなんです。それで土づくりをイチからやってみようと。だから最初は、土づくりが何をしているかなんて本当に何も分かりませんでした。

―とはいえ陶芸を学んでいれば、ある程度は土に詳しいのでは。

日置 : いえ全く。「粘土というのは与えられるもの」だったんです、ずーっと。
特に学校なんかは、これでやりなさい使いなさいと渡されるもので。そのなかで自分の技術を磨いたり勉強したりはしますが、ともかく素材というのは与えられるもので掴みにいくものではなかった。それが長いと、当たり前になっちゃうし、疑問も違和感も持たなくなっちゃうわけですよ。

―ええ!土づくりと陶芸が離れていたとは、意外です。

日置 : だから、初めて見ることの連続ですよね。土を作る現場も、原土も。基本的に土屋は、いつでも高クオリティなものを安定して供給するために原土をブレンドして粘土製品を作っているのですが、それまで出来上がった土をもらうだけだったので、どういう仕組みや設計図で土ができているのか何も分かりませんでした。

―その段階からどんどん詳しくなっていった、と。

日置 : 作家さんから相談や要望をもらっても、知識がないとリアクションができない。「わかりません」とは言えないから、ちゃんとアドバイスできるようにと素材の研究を始めました。同じ土でも作陶方法で起きる問題が変わることもあるので、なおさら、自分自身があらゆる経験をして分かっておきたいなと。

あくまで土の研究・実験のために作陶しているということですか?

日置 : そうですね。作家さんに見せているという気持ちが強いです。使い方や表情を実際に見てもらいたいので、あまりテイストを絞らず、作りこんでいないものも用意しています。しいていえば、「焼成することを続けている」というのが自分の作家性だと思われているとは思っています。

―作家性といえば、日置さんの作品は古物や自然物を思わせるものが多いと思いますが、それは意図的に?

日置 : 意図的ではなく、素材の良さを引き出すとそうなってくるという感じです。本来誰の手が作ってもいいと思っているので、作家性を込めることよりも、「素材が持っている現象を見る」ことへの気持ちが強くあります。作品には器の形状をしているものが多いですけど、それは器を作っているというより「器の形状を通して現象やものを見ている」ということです。そうすれば時間軸は勝手に越えてくるというか。

「とんでもないことをしている」


―「素材が持っている現象を見る」という意識はいつから生まれたのでしょう。

日置 : カネ利に入って土と向き合い始めてからです。そもそも原土と呼ばれるものがどこから来てるかも知らなかった自分が、原料山に行って採取する現場に立ち会ったりするうちに。

―印象的だった出来事はありますか。

日置 : 押し入れから古い日記、軍服、ガスマスクが出てくるような築100年以上の古民家を預かっていた時期があって。最初はすごなぁと思うくらいだったんですが、通っているうちに、だんだん家に気配というか、ここで間違いなく長い時間、人が営みを行っていたという足跡や手跡をありありと感じて。

―はい。

日置 : それである時、シロアリ被害でボロボロになった床板を燃やして処分したんです。せっかく火が出るなら野焼きでもしようという感じで野焼きもして。その時初めて、焼いて炭素を閉じ込めるということが単に植物の燃え残りを閉じ込めるということではなく家の時間を閉じ込めているのだ、という感覚を覚えたんですよ。

―詳しく教えてください。

日置 : 人の営みがあったところの木材を燃やして、その煙が焼き物の中に入っていることをずっと観察しているときに、これは「とんでもないことをしている」と思いました。物事の終わりを預かるだけでなく、記憶の定着というか、時間の定着というか、そういうことを焼き物屋はやっているんだと。こんなにも大きなサイクルの中で僕は焼き物をしているのだと強烈に実感して、そこでまた自分にとって素材の意味合いが変わったというか。

―物事の終わりを預かる、という話が出ましたがどういうことですか?

日置 : とある原料山に、長年の墓地跡を崩しながら原料を掘っている現場があるんです。昔の人は土葬なので確実に人を生めていたことになります。自分のご先祖様とか、だれかの骨もこの土に…と思うんですよ。人間や動植物など物事の終わったものが、そこに長い期間熟成されて粘土ができることを山に行って初めて感じて。土はただの土ではなく、堆積物なのだと。その時も「とんでもないことをしている」と思いましたね。

ー最後に、これからのことを教えてください。
日置 : 特にこれがしたい、あれが作りたいというのはないですね。素材がある限り、その現象を落とし込むように何か作るのかなとは思います。軸足はちゃんと粘土屋において、土の実験をすることと、作家さんに見せて橋渡しをすることはぶれないです。土屋の営業ですよ(笑)

―ありがとうございました
日置 : ありがとうございました。

今回の対話を終えて取材の途中、「好きなことだけをやっている、というのは決めたんです」と教えてくれた日置さん。カネ利で朝から夜まで働いた後の時間に自身の作陶をしていて、面白くなかったらやめればいい、やることがなかったらやめればいいと思っているそう。自身の行為や生み出すものに対して大きな嫌悪感を抱いたことのある人が持ち得る、理屈なき好奇心と眼差しの深さは、目に見えること以上に大切なことを私たちに投げかけてくれるようです。
本来製品としてブレンドする以前の原土が持つ個性や面白さに光を当てていることも、きっとそういうことなのかもしれません。

需要に答えて繰り返し同じものを再現するのではなく、一瞬一瞬、目の前の土から立ち上がる現象を掬い上げていく日置さんのものづくりに、私はこれからも惹かれ続けていくのだと思います。
聞き手・文 : のせるみ

[ 展示会情報 ]

日置 哲也 展
2月26日(土) – 3月6日(日)