うつしき

うつしき

自ら然る

今日という日が晴れであることを教えてくれる

花ふきんの刺子のように水滴が滴る蜘蛛の巣。

 

もうすぐ心が晴れそうな早朝に嬉しさが込み上げてきた。

 

小さな小さな不調が続き

何もしたくない、寝ていたい、こんな日が毎日続くのかと

本当に、ほんとうに珍しく体の不調から心まで塞ぎ込んでいた3週間。

 

そんな中、ヤスヒデオノ(夫)は

筋トレにサウナスーツを着て有酸素運動していい汗流して

いい小説読んで涙を流していらっしゃる。

羨ましい…というか、まぶしいっ。

 

一方で妻は

文字を読む気にもならない。家事、仕事をするのが精一杯。

夕飯食べたらすぐに眠りの世界に逃避行。

歳を重ねていく中でどこかしらの不具合がでてきます。

それに抗うように、健康に生きるために鍛え、整えようとしますが、

元気がない時は無気力になってしまうことを実感。

人は健康だから、動き、健康に気を遣える。

そして、人は無敵状態のときは弱っている自分など想像できないから、

弱っている人にもやや冷めた態度を取ってしまう。

健康な自分がほんの少しだけでも手助け出来るような

それくらいの余裕を持ち合わせていたいなと見つめ直す日々でもありました。

いつもの調子に戻ってきた日に手に取った

臨済宗派の花園学園の総長の本には、朝見た景色の答えのようなものが書いてありました。(一部まとめました)

 

“空とは、何々がないという状態ですから、つなぎ目がない、差別がない、境目がない世界です。

同じ命なのに、この人は健常者である、障害者である、老人である、若者である、病人であると差別をつけるのです。

命は区別ができても、切り離して存在することはできません。

命そのものは差別を超えて、根底においては私も動物も草の命も全部繋ぎ目がないのです。”

 

子供達はひどく怯え、大嫌いと言われる蜘蛛。

その巣に水滴が連なり、光が差し込みきらきらとした一瞬にわたしたちは魅了される。

 

嫌いな蜘蛛も綺麗だと心奪われるようなものも全て繋がっていているのなら、

目の前に映る景色は自分。

儚くもこんなに懸命にここ在ろうとする姿が自分にもあるのではないかと己の気持ちを掻き立てるのでした。

 

何もできない日々が続いた…

そう思う自分がいたけれど

今一度自分を、この世界の在り方を問うような時間となりました。

 

今日も佳き一日を過ごしたい。

より一層想います。

今週もどうぞ宜しくお願いします⚪︎

 

小野佳王理