庭の紫陽花が梅雨の候に、澄んだ気持ちにさせてくれる。
本日7月1日、瀬戸内海に浮かぶ小豆島にて 家族で宿 喫茶 商店を営む”橡人”の15日に及ぶ展示が幕を閉じます。
雨の中にもかかわらず、足をお運び頂いた皆様ありがとうございます。
店内に佇む竹で建てられた小屋が名残惜しいですね。
橡人の作品の木台に腰掛けて、この空間にいると落ち着きます。
いつもと違う目線から外を眺めると景色が違うように見える。新たな視点をありがとう。
小豆島の宿で過ごした時と同じような氣の流れがここにも流れていて、
彼らが居ることでその流れが出来ているのだとあらためて思いました。
展示5日前から小豆島からやって来て、大人4人子供7人で一つ屋根の下で寝食を共にした約2週間。
おもちゃで足の踏み場がない、誰かが数分置きに泣く、喧嘩をする…
すごいカオスだし、日々の習慣なんてあったもんじゃぁない。
けれど、大変な時に助け合い、ご飯を作ったり、面倒を見合ったり、笑顔絶えぬ日々。
日々暮らし 生きる活動こそが活動であり
生活をすることを表現する
その言葉通り、橡人という家族そのものが表現なのだ。
そんな中、あらためて暮らしについて考える。
わたしが”暮らす”を意識したのは雑誌”暮らしの手帖”がきっかけでした。
久しぶりに22歳の時に初めて手にした号を手に取って読んでみると
“「人はどういう時に幸せを感じるのだろうか」
みなさんはいかがですか。
よかったら少しだけ時間を使って考えてみてください。”
と当時の編集長の松浦弥太郎氏が書いていました。
どうですか?すぐ浮かびましたか?
22歳の頃のわたしは
“お風呂に入る時” ”太陽に干した布団で寝ること”
今もあまり変わらずですが、、それに加えて家族がただただ健康で居てくれること。
家族が笑顔であることが、幸せというか、いつも支えてくれていて、居てくれてありがとうと喜びを感じます。
雑誌には続けてこう書いてありました。
人は誰かと人間的な深いつながりを持てた時こそ幸せを味わうのです。
それは友達や家族、恋人や同僚と深い絆を感じた時に得る宝物です。
結婚13年、家族ほど面倒なものはないな、と思うこともあったし
子どもが居ると何にも出来ない、と思うこともありました。(今もあります)
けれどもしあの時、結婚を選択していなかったらこの13年間、わたしはどう生き、暮らしたのだろうか?
とパラレルワールドを想像してみたりします。
面倒くさがりやで傷つきたくない為に
争いを避け口を紡ぐところがあった結婚当初は、急に何もかも嫌になって
”もう人里離れたところに一人で住みたい”とか思うような極端なところがありました 笑
けれど家族と13年過ごすと、家族への理解も深まっていく。
楽しいことも辛いことも共にしたからこそ、さまざまな一面を知ることができる。
負荷がかかることが多い中、渦中に居ると分からないのですが 、
ある時、大きな喜びや笑みになっていることにふと気づく。
これが幸せを感じる時なのだと思います。
橡人一家と過ごした中で、この一家の絆がとても素晴らしく感じていたからでしょうか。
自分のことしか考えていなかったも独身の頃には深く分からなかった暮らしの手帖の一文。
今この巡り合わせでようやく染みました。
いつも夫と”はぁ、なんでこんなに一日で散らかるんだ”と口癖のように言うけれど
雑多で混沌、愛しい暮らしだったということをきっと夫婦二人になった時に思うのでしょう。
巻末にいつも書かれていた”今日もていねいに。”
その言葉に憧れて今の暮らしがあるのだけれど、
簡単にはさせないぜ!人生あまくない!
とチビたちが今日も誰かが朝食でバッシャーンと汁物をこぼし、泣き、怒り、笑い溢れる朝から始まります。
さて、今日はどんな一日になるでしょうか。
どうぞみなさんも幸せを噛み締めるような一日をお過ごしくださいね⚪︎