“桃は昔話の中で桃太郎のように主役になるのに柿は大変身近にあったものの割には華々しく主役として登場する昔話が見あたらない”
柿の民俗誌に綴られていた言葉を裏付けするかのように
“柿単体ではあんなに美味しいのに他と合わせると柿は完全に脇役となる”
と余韵さんが口にした。
柿のこの立ち位置が面白くて、調べれば調べるほど人々と共に生きた生活樹であったことを知ると同時に
現代の日常ではどことなく控えめな印象になってしまった柿に惹かれる今秋。
“手がかかる子ほど愛おしくなる”
まるで自分の子供のように、見つめ、向き合う。
3回目の学びの場では余韵さんをお呼びして、その溢れんばかりの柿愛を語って頂き、お菓子作りを行いました。
当日の朝、うつしきの柿をもいで柿の味や状態を確かめるが、以前送った柿とは様子が違い、表情が一変。
話かけてもいつもの穏やかな雰囲気とは違う、、シリアスなうじゃ姉(余韵さん)の横顔に、撮影に入っていた小田くんとわたし、
そして蚊さえも息を呑む午前の時間は今となっては笑い話。
思っていたよりも淡白な味だった柿をどのように引き立てるかを直前の直前まで向き合っていたうじゃ姉。
始まる数分前に、”うん、大丈夫!”と言った言葉がとても心強かった。
始まってみれば、朝の顔はどこかへ。
余韵さんの柿愛、そしていつも作っている植物性の菓子への追求心を知る時間となり、わたしも参加者の皆さんも夢中で手を動かす。
まるごと柿を愉しむ会となった今回。
日曜日、途中から美味しい香りを嗅ぎつけた3歳の息子は柿の皮チップスの絶妙な甘さと食感に食べ始めたら止まらず。
余韵さんならではの感覚で出来上がったコンフィチュールは噛むと柿の味がじんわりと沁みて、これから柿を味わう新しい愉しみのひとつとなりそうです。
こちらの様子はうつしきYouTube、対話は火曜日、うじゃ姉による楽学の綴りは水曜日に更新予定ですので、さまざまな視点からお愉しみください。
900〜1000の品種があると言われている柿。
手にする柿が同じであるとは限らないし、同じ木だとしても実が成っていた高さや、採った日、
置いた時間によって味が変わりゆくのを目の当たりにした2日間。
先祖がここに柿の木を植えてから何十年の季節を巡ったのでしょうか。
朽ちてゆく柿を見てはくすぶっていた数年から一歩。
生活樹としてこれから長い月日を重ねていきたい。
そして、土曜日より はいいろオオカミ+花屋 西別府商店 の展示が始まりました。
毎度愉しみにしている植物の装飾。
西別府くんが選んだ木が、喫茶室前の柿の木でした。
自然な流れの枝に美しさが宿り、この場の中心として作品たちと一体になっています。
いつものうつしきでは見られない景色を愉しんで欲しい。
皆さんのご来店を柿の木と共にお待ちしています。
小野 佳王理