“日々を整える”
暁の風に目覚め
朝間の水に清められる
真昼の炎は内なる太陽と共にあり
夕べの風で心鎮める
宵の大地に祈りを手向け
夜更けの火の刻
眠りの力でふたたび産まれる
いつからだったでしょうか。一日のリズムを考えるようになったのは。
空気の移り変わりを初めて意識したのは、中学1年の春休みだったように思います。
部活の早朝練習のために、まだ薄暗いうちに起きだして自転車で家を飛び出した時に
言葉では表せないほど、身体と心全てに別の世界の清らかな何かが染み込んでくる気持ちのよさを味わいました。
「朝の空気は何かが違う」
その時はただ単純にそんな風に思った事を、あの時の驚くような新鮮な感覚と共に思い出します。
大人になるにつれ、季節のリズムに合わせて暮らすこと、丁寧に日々を送る事
そんな暮らしに憧れながらも怠惰な自分にがっかりするようになりましたが
幸いにも連れ添ったパートナーが日の出と共に起き日が沈むと眠くなるような人でしたから
自然とそんな1日を送るようになっていきました。
一日のリズムに合わせて暮らす心地よさを知っていく中、アーユルヴェーダの一日の過ごし方の智慧を知ることになります。
アーユルヴェーダは日本語では「生命の科学」と訳されます。
人が産まれてから死に至るまで、どんな風に生きていけば幸せなのかを細かく教えてくれる科学です。
私達はどうして生きているのだろう、何の為に産まれてきたのだろう。
たぶん人は皆、少なからずそんな疑問を持ったことがあるのではないでしょうか。
なぜ産まれてきたのかという答えに近いものは、
ヨガの哲学や世界中の宗教やスピリチャリティを学ぶ中に多くのヒントがあるのだと思います。
また瞑想の中で感覚的にそれを知る人もいるのかもしれません。
ただ、そんな境地に導かれる前に、答えの出ない疑問を持ちながらも 私たちの毎日は日々繰り返されていきます。
「生きること」は「暮らすこと」でもあると思うのです。
日々の暮らしが整えば、生きる事、そして生きていく事で築かれていく人生というものも整っていくのではないでしょうか。
「水の上を歩くことが奇跡ではない。こうして私達が大地の上を歩いていることが奇跡なのだ」
という、ベトナムの僧侶ティクナットハンの言葉があります。
毎日生まれ変って新しい自分を生きる。
生きる事は奇跡の連続なのだと思います。
そんな日々を整えるヒントが、一日のリズムを知ることの中に隠されています。
ヨガやアーユルヴェーダを学んでいると たくさんの専門用語やサンスクリット語に出会っていきます。
いつからか私はなるべくサンスクリット語を使わずに自分の言葉で伝えるようになっていきました。
一日のアーユルヴェーダ的な暮らしの中にも サンスクリット語のエネルギーの説明が多用されています。
まずは、この一日の流れ 風・水・火・風・地・火と繰り返されるエレメントの移り変わりを
私の言葉にして伝えることにしました。それが冒頭に記した詩のようなことばです。
不器用な私は、理解できていない知識が多く、それを伝えることがとても下手です。
伝えることに対して私が出来る事は、私が理解できた少しばかりのことを自分の言葉で伝えること。
今回参加くださった皆様に、そのことばが届いていたらとても嬉しく思います。
最近読んだ本のあとがきに書かれた一文が心に残りました。
「樹木は自ら高く伸びていきながら同時に自身を支える大地を肥やしていく。鳥や獣達にありあまるほどの
贈物を差し出しながら、それらが連れて行ってくれる多様な新天地に自らの未来をおおらかに託す。
私は樹木のようでありたいと思う。竹村真一」
学び続けることも一生の喜びであると同時に、自分の中のものを周りに差し出し未来に大らかに託す。
それも人としての喜びなのだと感じます。人前に出るのが苦手だったはずの私がなぜ学びの場で伝えることをしているのか。
その理由がこの一文にありました。
私も樹木のようでありたいと思います。