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味わい深い一年

田上真理子

田上真理子

食と手当て 身体と無意識を繋ぐ透明な命を探究中
味わい深い一年

2026年

明けましておめでとうございます


いつもうつしきブログを読んで下さり、ありがとうございます。

今年も皆さまの日常の気づきや、ほっとする瞬間、毎週の愉しみとなりますよう大切に綴っていきますね!

 

3週間に一度のお当番は意外と早いよね?と、書いている本人たちもたまにボヤいていたりしますが…… (汗)

本年もどうぞ宜しくお願い致します!


一年の終わりと始まり

皆さんどんな事を考え、どんな事に心を震わせているでしょうか。


わたしはと言うと、毎年恒例ですが

一年の終わりも始まりも、展望や野望みたいなものを通して「自分自身と向き合う」大好きな季節です。

 


ですが、今年はなぜだかいつもと違い

ピンとくる言葉が出て来ない。

普段なら、わりと勢いよく出て来るはずなんだけれど…。

それでも探っていると出て来たワードは「無」という言葉でした。


日頃のうつしきでの鍛練のおかげで、ついにわたしも欲や執着を手放せたのかと思ったりもしたけれど

いやいや!全然人と比較しちゃうし、「無」と言ってるわたしが一番怪しい。


では、なぜ「無」というワードが浮かんで来るのだろう。


そもそも今年の目標が「無し」というのもいいかもしれない。

一年の始まりに目標を決める事が当たり前と思っているから、目標を掲げているけど

そんな当たり前と思っている価値観そのものを「無し」にする。


そう考えると、なにかしっくり来る感覚がありました。


年末の「断捨離」にも通じるけれど、自分自身が思い込んでる常識だったり、価値観、ルールを手放して「無」にすると

目には見えないけれど、余白ができて軽くなったような。


今までの目標とは、いまの自分自身から一気に何歩も先に進むイメージだったけれど

『余白ができたら一歩進む』みたいな、一歩の深さを味わいたいと思えて来たのです。


 

冬至の日。

いつものように朝礼で蹲踞をしていたときのこと。

普段は5分間だけれど、この日は倍以上の12分の蹲踞の間。

本当に一瞬、何の思考もない頭の中が空っぽになったような静けさを感じたあの一瞬。


あの静けさが「無」だったのかもしれないと思うと

情報や物が溢れる現代で、「無」になるのはなかなか難しいけれど

もう一度、あの静けさを体感したいと思いました。


この経験は

居場所は変わらなくても、同じことをやり続けることで

変化・成長していくこともあるということを教えられた出来事でもありました。


今年は大きな変化を望んで、目標を掲げるというより

今までやり続けて来たことを、さらに深め

その一歩一歩をゆっくり味わいたいと思います。



どなたにとっても素晴らしき一年となりますように〜♡




 

田上真理子

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