「見て!」を見た
小野 佳王理

雨が上がり、庭や畑の葉っぱを見渡せば、あら、虫食いだらけ。
みんな、今日も生きるのに必死だ。
振り返れば、毎週イベントが続き、夫は中国へ。
これも、あれも、「しとかなくちゃ。」
そんなふうに気持ちばかりが先へ先へ向かっていると、自分の状態はあまりよくない。
そして、決まって悪くなるのが5歳の次女との関係だ。
彼女は感情の起伏がとても大きい。
ノリノリのときは、その場をぱっと明るくするムードメーカー。
でも、「見て見て!」と言われて見ても、自分が思い描いた反応ではなかったら、
「見てくれん。ママはわたしのこと嫌いなんだね。」と言う。
「ママなんか、◯◯ばばぁ。」とも言う。
こんなふうに真正面からぶつかってくるのは、この子だけだ。
彼女は傷ついていたのかもしれない。そして、わたしも。
そんなとき、「こんなことを言わせてしまっているのは、何だろう」と、自分を見つめる。
たとえば、父に買ってもらったお菓子。
保育園から帰ってきて、その袋に手を伸ばした瞬間、
「お菓子は今食べるんじゃないよ。」と、わたしは強い口調で言ってしまう。
すると彼女は、「違うよ。いくつ残ってるか見ただけなんだよ。」と言う。
食べてもいないのに、先回りして釘を刺してしまう。
こういうこと、実は他にもたくさんある。
子どもの立場で考えたら、ただ見ただけなのに疑われる。
まだ何もしていないのに怒られる。
信用されていないと思うよね。
「しなきゃいけない」に追われているときは、
相手の話を最後まで聞くことさえ面倒になってしまう。
目の前にいる人を、ちゃんと見ないまま言葉をかけてしまっている。

昨日は、うつしきで行った、霊視手相鑑定をされている千歳さんと、「あたらしい日常料理 ふじわら」の藤原奈緒さんによる『世界は思っているより安心。「わたし」にふれるお話会』に参加させていただきました。
やさしいごはんをいただき、ゆるやかな時間の中で、日常に湧き上がる感情を一人ひとりが言葉にしていく。
その中で、次女とのことを話すと、千歳さんは、
「娘さんではなく、ご自身に意識を向けてみてください。」
と話してくださった。
その瞬間、「ああ、わたしは娘を何とかしようとしていたんだ。」と気づいた。
娘の「見て見て。」は、わたしの中にもあった。
小さな頑張りも、誰かに見てもらいたい。
気づいてもらいたい。
「本当は少し疲れている。」
「それでもやっている。」
そんな小さな声を、聞いていなかった。
寂しさや怒りを埋めなくてはと、彼女のために何かしてあげようと思っていた。
でも、まず向き合うべきは娘ではなく、自分だった。
「しなきゃ」「こうあるべき」に追われているとき、その苦しさは、いちばん近くにいる人へ向かってしまう。
安心は、誰かにもらうものではなく、
自分の中にあるものへ目を向けることから始まるのかもしれない。
次女を何とかしようとしていたけれど、彼女が教えてくれていたのは、わたし自身の状態だった。
わかっていても、すぐにはできない。
だからこそ、誰かの前で話してみる。
自分の心を言葉にしてみる。
そんな時間は、思っていた以上に大切なのだと感じました。
さて、今週末からは、うつしきでガラス作家・西垣聡さんの展示が始まります。
そして8月1日から始まるyasuhide onoの展示に合わせて、家族で長野・新潟へ。
忙しい毎日は変わらない。
だからこそ、目の前にいる人と、
その人を見つめている自分を、忘れずにいたい。
今週も佳き日々を◯
