朝起きてから寝るまで全力疾走中の秋。
うつしき、yasuhideonoどちらも二つの展示があり、保育園に小学校の運動会、遠足と大変充実していた10月でした。
野に咲くセイタカアワダチソウは黄色から綿毛に、田は稲刈りを終え
こんなに近くに居るのに意識が少し離れると気づけば別の場所かのような風景に。
今年に入ってからお店の体制が少しずつ変わって行き、お店に立つことが以前よりも多くなってきました。
土日は子供がいながらもお店に立っていますが、
温かなお客様たちばかりで、子供達も声を掛けてもらったりと嬉しそうにしています。
どこかに連れて行ってあげれないけれど、お店の前の庭で一緒に花を摘んだり
かけっこをしたり、これはこれで我が家の風景なのだと全ての環境に感謝しています。
いつからか“感謝をする”ということが心の底から湧いてくるようになりました。
手と手を合わせることに違和感がないことに気づき
“ありがとう”の言葉も口にすることが多くなったようにも思います。
我が家では食事の前に
“いつもありがとういただきます”と手を合わせます。
お腹が空いて待ちきれないときは早口だったりと心を込めているとは到底思えませんが、、、
家だけでなく、外食をした時も同様にしている姿を見て
子供たちの中にその言葉が刻まれているんだなぁと思うと
もう少し大きくなった時に、いつも行う行為からわたしたちがどうやって存在しているのか、考えるきっかけになるかもしれません。
一粒の米にも万人の魂とか、一粒の米に7人の神とか
米どころの地で育ったせいか、お米にまつわる言葉をよく聞き、目にしていました。
戦中に生まれた祖父母が茶碗に白湯を注いで最後まで綺麗に食していたのを覚えていますが
”ありがたい、ありがたい”とよく手を合わせていた姿はなぜそこまでするのかと思っていたほどです。
ただ、小さい頃祖父母に感謝しなさいと言われても、、身を以てわからないんですよね…
田んぼにも畑にも連れられて遊んでいましたが、綺麗な水に土、微生物、太陽、、そして人の手がないとお米が食べれない。
そんなことを考えるようになったのはずっと先のことで、田畑の景色がなくなってしまうことを想像した時に自分も消えてしまうような悲しみに襲われたのが20歳過ぎ。お米とわたしに限らず全てが繋がっているんだなと思うようになりました。
沢山の縁の重なりから自分が此処に存在していて、それは奇跡的でとても尊いことであること。
それが分かれば、自分がどのように振る舞うべきかを考えると信じたいところですが、
それをどのように子に伝えていくか試行錯誤中です。
ひとまず、己が率先して一緒に居る人、今居る場所から広げていって
遠く宇宙まで、心の底から畏れず感謝し続けること。それだけは忘れないようにしたい。
忙しくなったり、ワンオペ中になるとついつい”わたしばっかり…”とか卑屈になりがち 笑
そんな時こそ、周りに感謝と敬意を。
11月に入りようやくひと段落したような、しないような。そんな日々が常。
今週末18日(土)からは 木工 督田昌巳 展が始まります。督田さんの今を切り取った今展。
粋な生き方が作品の細部にまで宿っています。ぜひ足をお運びくださいね。
今週も佳き日々を~○