糸が切れるまで
小野佳王理

横に、針と糸と端切れ。
このせいかつが、新年から始まりました。
「時間がない」
そう諦めていることが、日々の中にたくさんありませんか。
わたしにも、たくさんあります。
一年は、あっという間
一日は、一瞬
一時間は、息をつく間もない
そんな中で、
どうやって時間を見つけていけるのでしょうか。

二十歳の頃、刺繍の魅力に出会いました。
英国刺繍、日本刺繍、刺し子など、いろいろと挑戦してきましたが、
のめり込めるものにはなかなか出会えず、
それでもずっと、一本の糸を針で刺すという行為そのものに、惹かれ続けてきました。
ジュエリーデザイナーである夫、yasuhide ono の展示テーマに合わせ、
アドバイスをもらいながら刺繍の作品やアクセサリーを制作していた時もあり、時を経て、その頃につくったものを今も身につけてくれている人に出会ったり、心に残っていると言われることがあります。それは素直に、嬉しい。
けれど同時に、わたし自身は、針と糸で何をしたいのだろう。
今のわたしに、できることとは何だろう。
そんな問いが、ずっと胸の奥にありました。
昨年から続いていた、我が家の片づけ。
離れの小さな箱の中から出てきた端切れや、集めていた襤褸たち。
生活の痕跡、労働による摩耗、家族の記憶に触れたとき、
これが、自分のまんなかにある大切なものなのだと気づいたのです。
では、それをどうやって、
日々のせいかつと刺繍と結びつけていけばいいのだろう。
このかつかつの毎日の、どこに針を刺せばいいのか。
考え続けるうちに、
「時間をつくる」のではなく、「時間の定義を変える」という考え方に行き着きました。

「刺繍をする時間など、今は存在しない」
時間に余裕があったら刺す、誰かの世話が終わったら刺す、
そんな考えを手放し、せいかつの隙間に針が入り込む形をつくればいい。
いつも隣に、さっと針を刺せる小さな箱を置き、
一本の糸が終わるまでと決めて、自由に布に針を刺す。
最初から予定として存在させるようにしたのです。
それだけで、「刺繍をする」という行為へのハードルは、ぐっと下がりました。
新年早々、思い立って、朝から何も考えず針を刺す。
たった一本、たった数分の刺し子は、瞑想にも近い感覚です。
それを見逃さなかった夫が、
「これやって」と、ショールの端を縫ってほしいと持ってくる。
えー、やだー。
なぜなら「お直し」は、綺麗にやろうといろいろ考えてしまうから。
そう思いつつも、前よりもずっと自然に、刺し子の延長線上でできるようになりました。笑
長女から次女へ、そして三女へ。
みんなが大好きで着続けたワンピース。
破れた肘に布を当て、刺し子をする。
あぁ、せいかつと、ちゃんと繋がっている。
ふと、そう思うのでした。
今週末から始まる、小野友寛 展。
里山でのせいかつ、畑や稲作の日々の中から、世界の流れに身を委ね、現れてくる形を受け取るように生まれた作品が並びます。紙と漆による新たな視点もまた、印象的です。
どうぞお愉しみに。
それでは今週も佳き日々を⚪︎
