ここにいる
田上真理子

次々と綻ぶ梅の蕾を追いかけて
椿の花も開き始めた週末。
我が家では、夫が今年最初の展示で大阪へ。
久しぶりに息子と二人の四日間を過ごしていました。
改めて、家事も育児も夫が担ってくれている部分が沢山あることに気づき
四日間は"感謝"の二文字が何度となく頭に浮かびました。
(まだバレンタインチョコもあげていないから、あとでチョコレートと一緒に感謝を伝えよう♡)
それにしても、四日間うんと賑やかだったなぁ。
息子のマシンガントーク、全部を受け止めようと思うとやっぱりわたし一人では足りない 笑。
なんでも聞いてほしいお年頃の息子に
「ちょっと静かにして!」なんて言おうものなら
しょんぼり…しくしく…うぇーーん!!!
こうなると母は白目で固まるしかないのです。

聞いてほしい
見てほしい
かまってほしい
この欲求はどこからやってくるのだろう。
一説によると、魂だけの世界からやって来たばかりの赤ん坊は
魂と肉体の境界線も自分と他者との境界線もなく
自分を産んだ母親(他者)を認識することで、初めて自分自身という存在を認識するんだとか。
母親もしくは、他者に認識されていない=自分自身が本当に存在しているのだろうか?という不安を生み
その存在確認が、子どものころの「見てほしい」という欲求として表れるというのです。
以前よんだ、シュタイナー教育の本に書かれていた「人間の本質」でも
0〜7歳は、物質体として未熟な身体を育てる時期ということにも繋がり、妙に納得。
息子からの「見て〜!」や「聞いて!」は
物質体としての存在の未熟さ故に生まれる欲求だと思うと
なんだか可愛いものに思えてしまうのです。
これって量子の話にも繋がっていて
「わたし」とは、そもそも誰かに認識(観測)されることでしか存在できない'不確定なもの'。
だからこそ、承認欲求が生まれるのかもしれない
と、承認欲求に対する嫌な感覚がほんの少し薄れるのでした。

もしかしたら、シュタイナーの言う身体を育てる時期というのは
0〜7歳だけではなく、大人であっても遅くはないのかもしれません。
先日見つけたシュタイナーについて書かれた記事では
「教育の一番最初の課題は、正しい呼吸。そして眠りと目覚めのリズムを育てることだ。」と書かれていて
呼吸も眠りも目覚めも一生を通じて、繰り返すことで
すでに意識してることやん♩と嬉しくなったり。
呼吸に意識を向けている時や、いい睡眠が摂れている時って
承認欲求すら湧かないという気づきにもなりました。
三月にはようやく同級生と同じ7歳になる息子。
この「見て見て攻撃」も少しずつ減って行くのかなと思うと、もう暫くこのままでもいいかと思えました。
そんなことで怒らないよう、呼吸と睡眠を整えます。
今週も健やかな一週間を♡

