食という生命力
田上真理子

雨降りの日々。
庭のキョウチクトウや槿が順々に花を咲かせていくのを、台所の窓からぼーっと眺めるのが、最近の愉しみでもある。
先週は、夫が出張に出ていて不在だったこともあって
一人で過ごす時間と言えば、やはり大半の時間を台所で過ごしていました。
台所のテーブルで珈琲を淹れて、YouTubeを開くと
今のわたしと同じように湿気を身に纏い
散歩の途中に嗅いだ草木の香りを思い出したり
喫茶店のナポリタンを食べて、幸せそうに感謝を口にする人がいました。
そんな人の姿を見ていると、思わず何か食べものを作りたくなってしまう。

昔から、食べてる人を見るのが好きです。
もしかしたら、自分自身が食べるという行為より
食べている人を見ることで、自分自身が満たされているとさえ思うことも。
「食する」という日常から切り離すことができない行為は
その人の生命力でもある。
そんな生命力を感じたくて、わたしは食に携わっているのかもしれません。
夫が不在の間、初めてのパン作りをしました。
おむすびやお漬け物を作るのと同じように
手から伝わるものを意識しながら小麦を捏ねて発酵させる。
その行為は、人体が形成されるのと似ているんではないかと思う。
そして、実際にパンが焼き上がると自分にもできるという自信が溢れ
その自信こそが生命力なのだと思ったのです。

そんな体験を息子にもさせてあげたいと思っていた週末のこと。
ちょうどお昼ごはんにパンケーキを食べたいと言うので、自分で作ってもらうことに!
材料を準備して、工程を伝えると「なーんだ、それだけ??」とつまらなそうに呟くものの
慎重な性格なので、やり始めたら丁寧に向き合い
一枚焼ける毎に表情には自信が漲って行くのがわかりました。
梅雨の湿度のせいか、癇癪気味だったけれど
パンケーキ一枚で、こんなにもご機嫌になり
生き生きして、彼らしさが戻った。
そんな姿から、改めて人が食べて生きることの意味をこれからも考え続けたいと思うのでした。
そして、暮らしの中に「食」という表現があることに感謝します。
今週も佳き一週間を♡
