学びの場 田中ひなこ「内なる静けさ アンタルムーナ」
Amrita Ayurveda 田中ひなこ

ヨガを習い始めてから瞑想に出会いました。もちろん瞑想という言葉は知っていましたが
自分の中で向き合うべきものとしての瞑想に出会ったのがヨガの教えに触れてからでした。
初めての瞑想は、身体の痛さや睡魔との闘いとなり、それが無い時には今度は考え事が頭の中をぐるぐると
巡り、友人の「瞑想は心地良い」という言葉に、自分はダメだと落ち込んだりもしました。
それでも、意味もわからずただ座るという事を続けられたのは、ヨガの師からの強く心に残った
教えがあったからだと思っています。
それは、瞑想を一つの目的のために利用しようと制限すると、その結果もそれなりの制限が加えられたもの
にしかならない、という事。
そして、ひとつ確かな事は、それは本を読んでもわからない、その人自身が体験する以外の何ものでもないのだ
という事です。
この教えは私の中の瞑想に対する概念を塗り替えてくれた教えでした。
何のために座るのか、そして、その時自分に起きている事が正解なのか失敗なのか、、、そんな事はひとまず
忘れて、ただ座ってみれば良いのだと、もし瞑想になっていないのなら、ただ黙って目を瞑る黙想で良いのだと、その当時の自分なりの答えをみつけた時でした。
そんな私ですが、今では毎日目を閉じて座ることが習慣になっています。
それは10分の日もあれば、気付くと1時間たっていたという日もあります。
瞑想になっているのかといえば、なっていないのかもしれません。
けれども座れば外に向かっていた心が内側に向いて、心静かになっていくのを感じる事が出来るのです。
座るまでは聴こえなかった外の世界の音に気づき、今の身体の様子を敏感に感じ、自分が確かに此処に
存在している事を知るのです。
先人の教えから学び繋ぐということ
もうひとつ毎日座る事が出来ている理由があります。
それは亡き主人のメモからみつけたOshoの言葉でした。
瞑想という水に火を灯し続ければ、水はお湯となりいつしかそれは沸点に達して変容する、という意味の言葉。
お湯を水に戻すことなく、毎日どんな形でも良いから火をつける事をしたくなる言葉だと思い、今回の学びの場で皆さんにシェアさせていただきました。Oshoから主人へ、主人から私へ、そして私からみんなへ。
こうやって口伝していく事が、学びの場にふさわしいなと思いながら。
内なる旅 インナージャーニー
15年ほど前に、インドから来日された美しい女性のスワミ(僧侶)のお話を聴く機会がありました。
その佇まいに、清らかな空気を感じると同時に何か凛とした強さを感じたことを覚えています。
スワミのお話は「内なる旅 インナージャーニー」というタイトルでした。精神世界の旅のお話だと思い
聴いていましたが、今その時のノートを読み返すと、それは瞑想が深まっていく段階を旅に例えてお話し
されていたのだと気づきました。
ティーンエイジャーだったスワミがチベット僧のところに通い始めた時から、見えない世界の旅が始まり
ました。
内なる世界とは自分の産まれる前にまで遡り、本当の自分は何者なのかを探ること。
そしてスワミはまだその旅を続けているのだと話されました。
私達は皆、気付いていなくても、心の奥深くから湧き上がるような、自分とは何者なのかを知りたい、
そこに還りたいという感覚を持っているのではないでしょうか。
生きている間にその答えにたどりつけるかはわかりませんが、座る事を通して
今、私達は、その源に還る内なる旅の途中にいるのだと思います。
そして願わくば、その旅の道中を楽しむことができますようにと祈ります。