目の前にあるいま


朝の空気が冷んやりとし始めた神無月。
保育園の運動会がおわり、今週は中学の文化祭、その次は小学生の運動会。
秋は行事の多い季節のなか、うつしきに足を運んでくださりありがとうございます。
開催中の「平澤まりこ 展」は19日まで続きます。
どうぞこの機会にいらしてくださいね。
中秋の名月、長男が誕生日を迎えました。
14年前、妊娠したことが分かり、産むと決めたその日のことを思い出します。
最近、夫が読んでいた『産む気もないのに生理かよ』という本を、わたしも読み始めました。
“産まない”という選択について書かれたその本を読んでいて、ふと、ある会話を思い出しました。あのとき、わたしは悩むことなく「産む」と決めたのだと気づいたのです。
「こどもを持つか持たないか、何歳になるまで産まないとか、そんなふうに決めなくていいんだよね。産まない人には産まない人生が、産む人には産む人の人生がある。
それぞれの経験が、その人の人生になるんだから。」
おそらく20代前半、これからの将来のことを母と話していたときのこと。
結婚願望も薄く、こどもが好きかといえばそうでもなかった当時。
「結婚は◯歳で」「こどもを産むのは◯歳で」といった話の流れのなかで、
車の中で母がふと口にした言葉でした。
結婚はいいとか、大変だとか、子どもを産むのが女性の幸せだとか、そういう社会の価値観を押し付けることなく放った言葉。
その後、思い出すこともなかったのですが、
きっとわたしは、産むと決めたあの日、
この言葉を大切に引き出しの奥にしまっていたのだと、14年経って気づきました。
続けて母は子どもたちと過ごせてよかったと、存在を肯定する言葉を向けてくれたことも嬉しく、記憶の奥に静かに張り巡らしていたのかもしれません。
思春期を迎えた長男は、今ではわたしの身長を追い抜き、
参議院選挙では「どこの政党を応援してるの?」と聞いてきたり、
ドラマを一緒に見て感想を言い合ったり、
ときに母にいらいらしたりもします。
産まれた頃には想像もしていなかった未来が、
今、目の前にあります。
日々愚痴をこぼしながらも5人の子どもに恵まれて周りにいるひとに助けられながら子育てができる環境に感謝。
あらためて、おめでとう、いつもありがとう。