欲しいものをすべて手に入れた、その先で
yasuhide ono

欲しいものをすべて手に入れたら、人は幸せになるのだろうか。
ふと、そんなことを考えることはないだろうか。
若い頃は、その問いに疑いを差し挟む余地すらなかった。足りないものが明確で、それを手に入れることが前進だと信じられたからだ。
手に入れたいものは、いつも外側にあった。
お金、評価、自由な時間、技術、場所。
それらは確かに人生を豊かにしたし、視界を広げてもくれた。
だが、ある地点を越えたとき、ふと気づく瞬間が訪れる。
「もう、そんなに欲しいものがない。」
そんなことを書いていても、心の奥底にある欲望の蓋を開けるといくらでも声が聞こえてくる。好きなことを続けて、家族や仲間が平和に暮らせる安定したお金は欲しいし、尊敬する人たちからの評価で承認欲求は満たしたいし、行ったことのない場所に行ってみたいし、もっともっと良いものを作りたいという欲は止まらない。
だけど、ここでの「欲しいものがない」というのは諦めではない。
満足とも少し違う。
むしろ、欲望の声の音量が下がるような感覚に近い。
欲しいものを手に入れるたびに、次の欲が顔を出す。
人はそういう生き物だ。
だから「もっと欲しい」は、自然な反応でもある。
けれど、その「もっと」が、いつの間にか自分を追い立てるものに変わることがある。
手に入れたはずなのに、なぜか落ち着かない。
満たされたはずなのに、また探している。
その違和感は、欲の量ではなく、向きの問題なのだと思う。
欲しいものをすべて手に入れた先で、人は初めて気づく。
本当に問われていたのは「何を持つか」ではなく、
「どう在るか」だったということに。

それ以上増やさなくてもいいと感じたとき、
代わりに浮かび上がってくる問いがある。
──これは、自分にとって本当に必要だろうか。
──これは、手元に残し続けたいだろうか。
──これは、誰かに手渡したいものだろうか。
欲が消えるのではない。
形を変えるのだ。
集めたい欲は、整えたい欲へ。
所有したい欲は、磨き続けたい欲へ。
証明したい欲は、静かに続けたい欲へ。
そのとき人は、「もっと欲しい」ではなく、
「これでいい」と言えるようになる。
そしてその言葉は、妥協ではなく選択になる。
欲しいものをすべて手に入れた先にあるのは、
空白だと言われることがある。
だが、その空白は虚無ではない。
余白だ。
何を足すかではなく、何を削るか。
どこへ行くかではなく、どこに留まるか。
どれを選ぶかではなく、どれを手放すか。
その余白の中で、人はようやく自分の輪郭を知る。
欲に引っ張られていた自分ではなく、
欲を扱える自分として。
欲しいものをすべて手に入れた先にあるのは、
「もっと欲しい」かもしれないし、
「もう、これでいい」かもしれない。
けれど、その分かれ道に立てること自体が、
すでに一つの豊かさなのだと思う。
欲を満たす人生の次に来るのは、
欲と距離を取れる人生。
そしてそこから始まるのは、
静かで、長く続く時間なのかもしれない。

断捨離の効果なのか、ようやくですがそんなことを思えるようになってきたのです。
うつしきという場の質をもっともっと高めていきたいし、面白いことを企画していきたいし、表現を磨き続けていきたい。
自分の作品を日々精進していきたいと思う気持ちはずっと変わらない。
もっと丁寧に一つ一つのものごとと向き合っていきたい。
そんな成長欲は止まらないっすね。
今日は新月。
うつしきオンラインにて20時から作品を更新しますので、ご縁がある方は覗いて見てくださいね。
絶賛開催中の小野友寛展 -螺旋-もまだまだ続きます。
回数を重ねるごとの変化のプロセスも含めて見応え満載です。
ぜひ期間中に遊びにいらしてくださいね。
ではでは、今週もハッピーラブレボリューションな始まりを♡

