わたしの"いと"
田上真理子

日々の暮らしに加えて、運動会や賑やかな催しと超高速で過ぎた十月。
日常は変わらないのに皮膚に触れる風や耳に届く音で季節の変化を感じます。
先日、五月から月一で開催してきた講座
'つちとて'(全六回)を無事に終えて、季節の移ろいとともに気持ちも一区切りしました。
講師である岡本よりたかさんと、パートナーのあやさんを含め、参加者の皆さんの昼食を担当する半年という時間は、長いようで短くて後悔もあるし、葛藤した苦しさもありました。
それは、始まる前にまず「わたしでいいの?」という気持ちとの葛藤でした。

ある日、うつしきでの問答の中で
「自分の中のメンタルブロック」について考える時間があり、わたしの場合はやはり"人からどう思われるか?"といった恐れが行動に制限をかけてるというのもあるけれど
もっとじっくりと内側を探って行くと見えて来たのが、"わたしが受け取っていいのだろうか?"という遠慮や自信の無さでした。
遠慮も自信の無さも、結局は"他者からの目線"に繋がるのだけど、自分の中に見えた「遠慮」というキーワードは、これまでの人生で自分の行動を制限する大きな壁になっていました。

そんなわたしにとって、今回のお役目はかなりハードルが高い挑戦だったのだと、今さらながら震えてます…笑
それでもブロックを外せたのは何故か?
自己分析をすると、恐怖よりも好奇心が勝ってしまったということもあるし
「わたしは、うつしきでの'つちとて'の昼食をどんな時間にしたいのか」
「自分自身がどう在りたいか」をはっきりと意図できたからだと思っています。
意図とは、どう生きるかを決めることであり
決めたからこそ、制限を外して大きな喜びを受け取ることができたんだと半年前の自分を褒めてあげたい。

わたしにとって意図は、小さな目標みたいなもの。
息子が通う小学校では、日頃の授業や運動会などの行事でも
それぞれに「目当て」を設定していて、子ども達が'この授業をお友達の気持ちを理解する時間にする'とか
'運動会を全力で愉しむこと'などの目当て(目標)を最初に設定することは、意図をすることと同じだと思い、とても好感が持てたのでした。
大人でも行動に意図がなければ、現実という輪郭がぼやけてしまうけれど
意図を持って決めた瞬間から、はっきりと輪郭を持って現実は動き出すものだと感じています。
何はともあれ、失敗もしたし、うまくいかないことも多々あったけれど
挑戦できる環境と、挑戦を温かく受け入れてくれる皆さんの大きな器に助けていただいた半年間でした。
続いて来たことが一旦終わりを迎え、また新しい時間が始まるこの瞬間。
改めて、うつしきに携われていることに感謝しながら
日々、意図を持って過ごしたいとやる気が漲っております!
今週も佳き日々を〜♡

