あけましておめでとうございます。
今年の年末年始はとても冷え込みますね。
私たちの住む福岡県内では、なかなかにすごい量の雪が降っているこの数日間。
うつしきも、年始の営業日に店を早仕舞して以降、開くことができていません。
ご予定してくださっていた方、申し訳ありません…。
しかし、たとえ道路が凍り、断水し、国道でトラックが横転しているとの情報まで聞き、予定していたことが軒並みできなくなってもなお雪を嬉しいと思うのは私が生粋の九州生まれ九州育ちだからでしょうか?
この、冬らしい冬の景色に、歓びと感謝が溢れます。
一粒一粒の結晶の集まりは、白く、静かに、無条件に、この世界に明るく反射してくれます。
曇天で終わらない冬は、目に映るすべての景色がワントーン高くなっているようです。
自然の現象というものには全く叶いません。
地球上で息をする生物全ては本来なんの太刀打ちもできず、できることといえば適応すること、共生することくらいです。
けれど、今になって思いますよね。
共生には、その生命体の高いレベルでの理知が必要であったということを。
己の力が影響力をもっている。あるいは、これくらい大丈夫だろう。
そんな小さな勘違いを雪のように積み重ねた先に、我々人類ではどうしようもない今日が訪れるのでしょう。
それでも世界は美しい。
こんなことを考えるとき、いつだって私は社会や人間の働きに憤り、変わらない多くを悲観してしまいそうになります。(しています。)
けれど同時にこうも思うのです。
宇宙や地球の極めて極めて短い瞬間に、この地球上の生物が、奇跡的に息づいているだけなんだよなぁ、と。
温暖化であれ、寒暖化であれ、一喜一憂する人間たちとはある意味別の次元やスケールで動き巡っている流れがあることもまた真実で。
どこまで行っても、人間の願いなどエゴだらけの世界で、それでも雪はしんしんと降り続け、私たちがないがしろにする小さな何かを積み重ねると美しくも取り返しのつかないことにもなり得るということを、教えてくれているようです。
雪の不思議。そろそろ終わってくれてもいいなと思いつつ、いざ終わりそうになると名残惜しくなる。
困っているはずなのに、命に危険がない距離感であれば、まだまだ愛でていたいと思ってしまう。
福岡では、今日、明日で一旦やむのかな?
美しい景色を、ありがとう。
のせるみ