うつしき

うつしき

自分の内側にあるもの

先週半ばの雨で
桜の花はすっかり散ってしまいましたが
身近にある草木の緑が
眩しい季節になりました。

気づけば、うつしきのお手伝いをさせていただくようになり一年です。

レジではクレジットの決済を二重でしてしまったり、、、
オンラインではピアスのキャッチを付けずに発送してしまったり、、、
なんと言ってものんびりしてるので
時間内に作業が終わらない事もしばしば…

そんな私を
やれやれと言いながらも
受け入れてくれるうつしきの人たちをはじめ
関わって下さる方々がいるからこそと
日々の出会い、ご縁に感謝を感じています。

思えば一年前は
想像もしていなかった未来が
今、目の前にあり
さらに遡れば
出産した四年前の自分とは
まったく違う自分になっているように感じ
なんだか不思議な気持ちになります。

私たちは、日々
生まれ変わっているのでしょうか?
それとも
もともと内側に持っていたものが
表面に現れるのか。

今年のはじめの頃、うつしきで
先天的と後天的についての話題になった時

『日々、何かを積み上げて来た感覚はなくて
内側にある何かを出している感覚』

と、小野家の偉大なる母である
かおりんが言った言葉が
波紋のように響いてきました。
それが最近になって
ようやく自分の体感として
言葉になって来たような気がします。

たとえば
息子が誰かと出会うことで
見せてくれる新しい一面も

映画 スラムダンクを見て
内側から沸き上がってくる
言葉にならないものも
その人が持つ一面だということ。

そもそも自分の内側にあるものと
引き寄せ合うのが私たちの出会うものだとしたら
人生の中での”出会い”って
とてつもなく大事な事だと思うのです。

きっと一年前の私にはピンと来なかった
自分の内側にある感覚を
誰かの言葉や
この一年で経験した事を通して
意識できるようになったのだと思います。

常に自分の中の
素晴らしい要素を見つけながら
日々を過ごせたら
また一年後の自分はどうなっているのか。

うつしきに関わって下さる
すべての皆様にとっても
出会いと発見の春となりますように!

田上まりこ