笑達 × 川井有紗 夫婦展 ‘いろどり山’ にお越しいただいた皆様ありがとうございました。
昨日のライブパフォーマンスはひとつの物語を音楽と絵で見ているようでした。
今週は月、金と展示入替えの為お休みを頂き、週末4/27(土)からはMITTAN展が始まります。
うつしき別注のMITTANのシャツも今の季節に丁度よくなってきたこの頃。
木々は先週からムクムクと芽吹き始め、我が家では徐々にこどもたち5人各々の衣替えを。
そんな中、ちょうど開いた本で
僕が初めて意識した好きな服は1歳半の頃に写っていた写真で
母の手縫のお祭りの装束だと友人に話していたという三宅一生氏の一文が目に入ってきました。
皆さんが初めて意識した好きな服はいつ、どんな服だったでしょうか。
長女が小学生前まで着ていたi a iのワンピースを今は3歳の次女が”ドレス”と呼び
保育園がお休みである毎週日曜日に着るのを愉しみにしています。
その時の喜びの笑顔といったら、周囲まで嬉しくなるほど。
何度ほつれても縫い直し、着続けている大切な1着。
彼女の初めて意識した好きな服はこのワンピースになるのではないかと思います。
その“好きな服”とは一体いつから芽生えるものなのでしょうか。
そして日々纏う衣服とは一体どういう存在なのでしょうか。
夫・yasuhide onoはよく言います。
着ている服装でその人の人となりが大体わかると。
最初はいやいや、そんなことを言っても、服に興味がない人だっているでしょう。
と思っていましたが、”興味がない”もまたその人の思想の一つであること。
その人が持つ一つの思想が見えてきますよね。
最も納得がいくようになったのは
子供たちと一緒に居る中で、衣服はその人の一部である
ということを思うようになりました。
現在1歳半の末っ子を見ていると
“衣服”と”自分”に境界線がないように思えます。
だから、必死にご飯を食べて米粒まみれになっても、外で思いっきり泥水に入って汚れようが、
裸でご飯を食べ、裸で泥水に入っているような感覚に近いのではないでしょうか。
”汚れる”という概念がないのかもしれませんが、それとは別で
着せられているけれど、自分となんら変わりがない様子。
そこから少し大きくなって
3歳の次女くらいになると
“服”と”自分”の境目が分かってきます。
母が選んだ服を、こんな服は着たくない!ということも。(ショック!)
保育園の日は帰ってくると制服をぬいで裸になって家の中を走り回りますが
それは“保育園児”という役割からの解放からなのでしょうか。
一方、休日は好きな衣服を”ドレス”と呼び、お姫様に憧れているのがわかります。
おもちゃのティアラをつけてドレスを纏って娘は彼女が理想とする”むっちゃん”になるのです。
身を守る衣服
役割としての衣服
着飾る衣服
どれも自分の一部。
この先もずっと着続けるのだから愉しくおつきあいしていきたい。
そういえばわたしが初めて意識した好きな服は黄色に3段のフリフリのスカートだったかな。
みなさんが初めて好きだと思った服はどんな色でどんなものでしたか。
そんな他愛のないお話しをしながら試着をしたりするのが衣服の展示の愉しいところ。
どうぞ今週末、お待ちしております⚪︎
小野佳王理