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清水志郎展を終えて、感じたこと

のせるみ

のせるみ

触れるものも触れないものも、健やかに巡るほうへ
清水志郎展を終えて、感じたこと

おはようございます。

昨日で最終日を迎えた清水志郎展

足を運んでくださった皆様、オンライン・オークションにご参加くださった皆様ありがとうございました。

楽しんでいただけましたか?

わたしは一昨日、志郎さんに「対話」記事用のインタビューをさせていただきました。

土を掘り作陶するという一連の行為が志郎さんにとってどういうものなのか。

時代やシーンなど大きな話から、目の前の土の具合や火の加減という細やかな話まで
尤もらしくカッコつけて語ることを避けようとしているように見える志郎さんに
半ば無理やり?いろんなことをお尋ねしました。刺激的な時間。

展示が終わったあとの余韻を「対話」でお届けです。

来週水曜日更新予定です。出来上がりを楽しみにお待ちくださいね〇

我が家には志郎さんの作品が至る所に。

どこに美しさや面白みを感じてものを選び、傍に置くことを決めるのか

道端の石ころや浜辺に横たわる流木、おばあちゃん家の棚に眠っていたお皿…

そして、作家の作品。

どんなものであれお金の介在の有無は関係なく、小さな選択の連続で人生の景色は描かれていくということをつくづく感じます。

「対話」でお届けするような、作り手の眼差しやプロセスはもちろん
でもそれ以前に、手に取ってみて、使ってみて、眺めてみて、置いてみて、どうかということ。

その感覚との出会いのほうが大事なのかもしれません。

「意味のない」「機能がない」というものとの出会い直しも含めて。

まずはそういうことを楽しんでみたい。

例えば、志郎さんの器には季節の食材が良く映える。

以前から、志郎さんの器は風土のものにぴったりと寄り添うように感じて、
そのような献立のときによく食卓に登場しています。

そんなことを書いていると、「いわゆる産地ではなく縁ある土地の粘土を掘っては、作り手の都合よく土を調整するよりもその土のまま、なんとか焼けないかとアレコレやっている。」と話してくれた志郎さんの言葉が脳裏をよぎって、受け手の感覚は、情報を得ずしても作り手の意識や意図とぴったり呼応するのだということに嬉しく思うのです。

さて今日も暑い暑い1日。

季節のものをたーんと食べて、よく動いて、気持ちよく活動していきましょう♪

朗らかな1日を〇

のせるみ

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