すべてはちょうどよいときに起こる
yasuhide ono

すべては、タイミングだと思う。
そう感じる体験はないだろうか。
同じ出来事でも、受け取る瞬間が違えば、まるで意味が変わってくる。
早すぎれば芽は出ず、遅すぎれば花は散る。
人生のあらゆることは、まるで自然のリズムの中に溶け込むように、
ちょうどよい瞬間に、静かに訪れている。
それに気づくのも、気づかぬのも自分の受け取れる状態次第であり、それもまたタイミングだ。
思想家サティシュ・クマールは著書『エレガント・シンプリシティ』の中で、生きることの本質について語っている。
それは、過剰を手放し、必要なものと共に生きるということ。
けれどそれは我慢や禁欲ではなく、タイミングに身を委ねるようにして自然と整っていく暮らしの在り方だ。
手を抜くのではなく、手をかける。
急ぐのではなく、間を味わう。
その先に生まれるのが「美しい簡素」なのだと思う。
彼が唱える “Soil, Soul, Society” は、自分の根っこの部分で響いている。
大地(Soil)に根ざし、魂(Soul)の声に耳を澄ませ、
社会(Society)と調和して生きる。
この三つは切り離されたものではなく、ひとつのリズムでつながっている。
それぞれの調和が崩れるとき、タイミングもまた乱れていく。
自然の流れを感じ取る力は、
実は「いまここ」に生きる感性そのものなのだと思う。

どんな出来事でも、タイミング次第で受け取り方が変わる。
不運に見えることも、あとになって「必要な遠回り」だったと分かることがある。
それは失敗でも成功でもなく、単にリズムの一部にすぎない。
それは“進歩と向上”のための道程だ。
人間の成長は直線的ではなく、螺旋のように巡りながら上昇していく。
だからこそ、焦ってはいけない。
人生のハンドルは他人に預けず、自分の手で静かに握っておく。
その姿勢が、タイミングを掴む感性を育ててくれる。
中村天風は「人間の心が変われば、運命は変わる」と言った。
それは単なる精神論ではない。
心の在り方が変われば、選ぶ言葉も、出会う人も、関わる出来事も変わっていく。
つまり、心の状態こそがタイミングを呼び寄せる磁場になる。
(前回の周波数の話に繋がるんですね。)
だから、焦ったときにこそ深呼吸をする。
うまくいかないときこそ、立ち止まって空を見上げる。
自然のリズムに戻ることで、心が再び“いま”と重なり始める。

同じことは、人との関係にも言える。
どんなに相手を理解したいと思っても、まだその人の心が開く準備ができていなければ、言葉は届かない。
けれど、ある瞬間、ふとした沈黙や微笑みの中で、それまで閉ざされていたものが静かに動き出すことがある。
そのタイミングは、こちらが意図してつくれるものではなく、関係が熟すまでの「間(ま)」が自然に整う瞬間に訪れる。
人とのつながりは、季節のようなものだと思う。
出会いが芽吹き、対話が育ち、やがて実を結ぶ。
ときには風が吹いて離れていくこともあるけれど、それもまた、リズムの一部として受け入れることができる。
焦らずに待ち、必要なときに言葉を差し出す。
その繰り返しの中で、関係は深まり、響き合っていく。
人の心も自然と同じで、急がせれば枯れ、温めれば芽吹く。
その加減を感じ取ることができたとき、
ようやく「共に生きる」ということの本当の意味が見えてくる。
人は結果を急ぎがちだけれど、
本当の創造とは、タイミングを見極めながら手を動かし、変化と共に生きることそのものだ。
結局のところ、すべてはタイミングであり、タイミングを掴む鍵は、心の在り方にある。
心が乱れれば、出来事は不協和音として響くし、
心が整えば、同じ出来事が音楽のように流れ始める。
人生は、リズムの中で生まれ、成長していく。
だから、何かが起こるタイミングを恐れずに、
その都度、手を尽くし、心を整え、
そして「いま」という拍に身を委ねていこうと思う。
ズレた間のわるさも、それも君のタイミング♪
昨日まで開催の平澤まりこ展は盛況の中終えることができました。
この展示もまさにタイミング尽くしだったといえる。
明日10月21日の新月の20時に一部作品を更新します。
遠方で足を運べなかったという方や、それこそタイミングが合わなかったという方はぜひチェックしてみてくださいね。
2ヶ月ぶりに僕の作品の更新を予定していますのであわせてチェックしてもらえると嬉しいです。
ではでは、ハッピーラブレボリューションな週の始まりを♡
笑顔の多い1週間としましょう〜

