日常という物語
田上真理子

大寒を迎えて、冷え込みが増した先週
今年最初の味噌仕込みをしました。
福岡に移住して初めて仕込んだ、熟成4年の味噌で蓋をすると
仕込んだばかりの層と4年の歴史を感じる層、どちらも愛着を感じ
寒さも忘れるひと時になりました。
このところ夕飯の準備をしていると
マシンガンのように話しかけて来る小1の息子。
学童で作ってきた工作物について、自慢げに説明して来たりすることが多いけれど
今日は三年生のお友達が遊んでくれたとか
お友達が持ってたボールが上級生に取られただとか、お友達のお姉ちゃんは自分(息子)には優しいけど、弟であるお友達には酷いことを言うだとか
人間関係での一喜一憂が垣間見れて、嬉しくもあり、ちょっとドキッとすることも。
お友達が泣くような時には、一緒に泣いていたり
日常という物語の影響は計り知れないなと思います。

大人だって、日常には様々なドラマが散りばめられていて
小さな変化の連続なのだと気付かされるのです。
考えたら、わたしも子どもの頃は
そういった小さな変化に一喜一憂していた記憶があります。
そこで気づいたのは、日常という物語は思いの外、沢山の刺激があるということです。
そんな中でわたしは、子どもの頃どんな時にほっとして、どんな事に幸せを感じて来ただろう?
そして、いまは?
家族で食卓を囲む時間
お布団に潜り込むとき
実は、"なんて事ない"ことが、一番ほっとできてシンプルに幸せを感じられること
わたしにとって、『寝食』と『安心感』は常にセットで大切にしている要素なんだということに改めて気づく機会でした。

例えば、子どもが安心して眠れるように続けている呼吸瞑想も
仕込んだばかりの味噌も、大豆と麹と塩だけのシンプルさは安心感そのもの。
自分自身が身近な家族にしていることが
だれかにとっての安心感になるような表現をしていけたらと、小さな光が灯り始めた一月でした。
一月も最終週の月曜日ですね。
今週も健やかな日々を♡

