内にある宇宙とお漬け物

田上真理子

雷と冷たい雨が続いて、ようやく秋晴れの日曜日
こんな日はご機嫌に朝から栗の渋皮煮を、コトコト煮込んでみる
この日は、福岡へ移住して丸4年の記念日でした
そうそう!4年前は栗が早く実り、わたしたちが住み始めた日には
「今年はもう終わってしまったのよ…」と、大家さんが残念そうに話してくれたのだけど
わたしはと言うと「来年からは、自分の手で収穫できるのか〜♩」と密かにわくわくしていたことを覚えています
4年前のわたし、想像してた?
今年は渋皮煮まで出来ちゃった!
都会暮らしのときには、買うことが当たり前だったものも
今の暮らしの中で少しずつ自分の手で作ることを覚え、手前味噌や梅干しがあることが幸せだなぁと感じています
とくに最近は、お漬け物と向き合うことで
自分の中で何かが深まったような感覚がありました
それは、身体に意識を向けるときや触れるとき
物理的に見えなくても、触れられなくても自分が意識すれば、そこに何かが存在する
「これが菌の存在なのか」
そう思えたのは、つい最近のこと
知識としてはわかったつもりだけど、今までその何かを"見えないもの"として言葉に出来なかった…と言うか、曖昧なものとして言葉にしないことを良しとしていたのかもしれません
けれど、それでは自分の人生の体験として厚みや深みがないような気がしていました
縄文漬けを教えて下さった "つけものびと・中川仁さん"曰く、「お腹の中=現実の世界」であり
お腹の中が調和していたら、現実も調和の中で生きることができるんだとか
だとしたら、身体を意識したときや触れたとき
内側から響いてくる温かさは「菌の存在」なのだと思えてくるのです
仁さんが伝えてくれた縄文の風景では、人は神社など外側の神様ではなく
自分自身の内側にいる神様への捧げ物として、お漬け物を作っていたそう
その光景を想像したときに、身体という存在とその内側に広がる宇宙がひとつになったように感じて
それは"自分を大切にする"とか、ただの"自己肯定感"以上のものにも思えたのでした
最近、写真が上手くなりたいわたくしは、日々鍛錬中なのですが、こういう気づきって狙ったピントにバチっと合った時のような気持ち良さを感じて、晴れ晴れとした秋の始まりとなりました
さて、秋本番
(個人的には一番好きな季節♡)
今週末10/11(土)からは、「平澤まりこ展」がスタートします
芸術と音楽と食
それぞれの秋を愉しみにお越し下さい
今週も健やかな一週間を♡