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私たちは何を手渡せるのか

yasuhide ono

yasuhide ono

Jewelry designer / utusiki owner
私たちは何を手渡せるのか

 

ドバイが燃えている。

 

かつて砂漠の上に夢のように建ち上がった高層ビル群。世界中の富と人が集まるあの街に、イランのミサイルとドローンが降り注いでいる。空港には煙が充満し、乗客が逃げ惑う映像がSNSに流れてきた。繁栄と緊張は、別の場所の話ではない。同じ街の、同じ夜に起きている。

 

歴史を開けば、地図は何度も塗り替えられ、国境は引き直されてきた。だが僕たちが生きているのは記録の中ではなく、現在進行形の現実だ。

 

そしてちょうど同じ頃、長年「陰謀論」として退けられてきたエプスタイン・ファイルが、事実として浮上した。空爆の映像が流れる傍らで、全く別の「見えない戦争」が静かに可視化された瞬間だった。

 

これは単なるスキャンダルではない。「何が真実として流通するのか」という構造そのものへの問いかけだ。フーコーが指摘したように、権力は暴力だけによって作用するのではない。知識の流れを管理すること——何が語られ、何が沈黙させられるのか——その選択が、僕たちの世界像を静かに、しかし確実に形づくっている。

 

現代の戦争は、銃弾だけの戦いではない。それは情報の書き換えという「物語の戦い」でもある。

 

しかし、どれほど物語が上書きされようとも、その底流には常に動かしがたいものがある。物質の争奪だ。

 

石油、レアアース、コバルト。文明を動かすこれらの鉱物は、国家の安全保障と経済の根幹を支える、いわば文明の骨格である。宗教や理念の対立として語られる紛争の背後には、採掘権、輸送ルート、エネルギー供給の確保という極めて物理的な争点が、ほとんど常に横たわっている。

 

鉱物は中立だ。だが、それを掘り起こす人間の欲望は中立ではない。

 

そしてここで、少し立ち止まらざるを得ない。僕が日々、指先で触れている石もまた、その地層の延長線上にある。石を美しいと感じ、それを形にしたいと思う。その衝動そのものは純粋だと思っている。でも、その石がどこから来たのか、誰の手を経てここまで届いたのかを問い始めると、話は途端に複雑になる。

 

手の中のスマートフォンの熱は、遠い地の底から吸い上げられたエネルギーの残響だ。ガソリン価格と中東の緊張。電気自動車の普及と、コバルト採掘地の労働環境。それらは独立した事象ではなく、一本の血脈のように連なっている。

 

では、僕たちはどう生きればいいのか。

 

正直に言うと、この問いの前では途方に暮れることがある。構造は巨大すぎるし、個人はあまりにも小さい。憤りを感じても、それをどこへ向ければいいのかわからない。声を上げても届かない気がする。かといって目を閉じることもできない。

 

それでも僕が思うのは、倫理とは高所から正しさを裁くことではないということだ。自分がこの巨大な構造の一部であるという事実を、逃げずに引き受けること。それだけで十分とは言えないが、それなしには何も始まらない。引き受けるという、静かな覚悟。それが出発点になると思っている。

 

争いはすぐには消えない。権力構造も一夜では変わらない。だが、未来はまだ固定されていない。

 

子どもや孫の世代に、何を手渡せるのか。最近、よくそのことを考える。技術でも制度でもなく、もっと根っこにあるものとして。

 

僕が行き着くのは「想像力」という言葉だ。便利さの裏側を想像する力。安価な製品の背後にある誰かの痛みや労働を想像する力。ニュースの見出しの奥にある構造を想像する力。それはすぐには何も変えないかもしれない。でも、次の世代の土壌に蒔く最初の種は、そういう地味で根気のいるものではないかと思う。

 

そして、石を扱う者として、もう一段だけ深く考えたいと思っている。

 

鉱物の美しさを讃え、その輝きを作品へと昇華させること。その行為は、採掘という現実と地続きにある。地中から取り出された石は、単なる素材ではなく、地球の時間と、そこに関わった無数の人の痕跡を抱えている。美しさへの敬意は、その重さへの敬意でもあるべきだと思う。

 

だから僕は、その石を浪費のためではなく、長く手元に残るものへと変えたいと思う。消費される装飾ではなく、時間を超えて手渡される存在へ。それが、今の僕にできる、小さくて具体的な応答だ。

 

すべてはつながっている。

 

その自覚を持ち、絶望に飲み込まれず、日々の選択をわずかに慎重にすること。大きな声で叫ぶことではなく、手の届く範囲で丁寧に生きること。遠い地の紛争と、手の中の石と、まだ見ぬ誰かの未来が、静かにつながっている。その一本の糸を手放さないことが、僕にできるすべてであり、それで十分だと信じている。

 

 

ニュースは時に暴力的だ。油断した瞬間、視覚に飛び込んでくる。心苦しく、途方に暮れそうになる。それでも、日々は続いていく。そのことを、受け入れるしかない日がある。


明日から三泊四日、香港へ行く。インドの友人に誘われてアジア最大のミネラルショーに行くのが目的である。いろいろな想いを抱えながら、それでも自分は自分の仕事をするのみだ。

 

うつしきでの僕の展示は3月9日まで続いています。週末には小豆島から橡人が来てくれる。もしよければ、ぜひお越しくださいね。

yasuhide ono

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Jewelry designer / utusiki owner

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