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見えないものの時間

yasuhide ono

yasuhide ono

Jewelry designer / utusiki owner
見えないものの時間

最近、毎朝の瞑想が楽しみで仕方がない。

目を閉じて、静かに座る。ただそれだけの行為が、日に日に奥行きを持ち始めている。


深く吸い込む一息、鼻腔を抜けていく空気の感触、遠くで鳴る鳥の声やカエルの鳴き声、足元から伝わってくる床板の冷たさ。外界のすべてが、こちら側の気配をそっとなぞるように存在している。


瞑想という行為は、決して現代の一過性の流行ではない。仏教の止観(しかん)における「観」、ヨガ哲学における「ディヤーナ(瞑想)」、禅の「只管打坐」、キリスト教の神秘主義に通じる「内観」や「沈思黙考」など、世界中の精神的伝統の中で、私たちはずっと「呼吸」することを大切にしてきた。

 

紀元前2500年頃のインダス文明には、すでに蓮華座を組む瞑想の姿勢が刻まれた印章が残されており、瞑想は古代インドの宗教的実践として発展してきた。そこからジャイナ教、ヒンドゥー教、仏教へと継承され、呼吸と意識を制御する技法として深化した。西洋でも、ストア派やプロティノスの沈思、中世の修道士による神への観想など、瞑想的実践は存在していた。


20世紀以降、瞑想は東洋から西洋へと再解釈されながら広がり、特に1970年代以降はジョン・カバットジンによる「マインドフルネス・ストレス低減法(MBSR)」の確立を契機に、医療・心理・教育などの分野へと応用されていった。宗教性を離れ、「今この瞬間」に意識を向ける訓練としてのマインドフルネスは、現代人の疲弊した神経を癒す手段として定着しつつある。


アップル創業者のスティーブ・ジョブズも、若き日に禅に傾倒し、坐禅を通じて「今ここ」に集中する訓練を実践していたことはよく知られている。彼は日々の静寂の中で直感を研ぎ澄まし、製品デザインにおける「シンプルさ」や「本質を見抜く力」に瞑想の効用を見出していたという。意識のノイズを減らし、最も大切なものに心を澄ませる──ジョブズにとっても、瞑想とは創造性の源泉だったのだろう。

 

自分にとって瞑想は、技巧や修行としてのそれではなく、存在の深層に触れるための営みである。最近は特に、呼吸というものの不思議に惹かれている。吸うことと吐くことのあいだに広がるわずかな間(ま)──そこに、身体と世界の境界がにじむように揺れている。その微細な振動に身をゆだねていると、自分が個として分かたれているのではなく、大きな呼吸の循環のなかに溶け込んでいくような感覚になる。


この感覚は、いわばインナージャーニー=内なる巡礼に近い。瞑想とは、何かを「目指す」ための旅ではなく、むしろすでに在るものを深く感じ取るための静かな漂流なのだと思う。目的も成果も必要としない、ただ「ある」ということを確かめる旅。


 

そして最近、瞑想中に浮かび上がってくるのは、自然のかたちや風景だということに気づく。雨音、露の煌めき、霧が立ちこめる林道、風に揺れる草。目を閉じているのに、まるで目の裏に記憶のスクリーンが現れるように、静かな自然の場面が次々と立ち上がってくる。


この内なる風景は、制作にそのまま接続されていく。たとえば糸を手で編むとき、しばしば、雨が落ちる音を思い出している。一滴ずつ、葉に触れ、地に浸透していくあのリズム。雨粒の躍動を編むリズムと重ねることで、目に見えない脈動が作品に宿る気がしている。


石を選ぶとき、光の濁りを探している。あまりに澄んだ透明さよりも、どこかに曇りや含みをもった石に惹かれる。朝露のような、霧に包まれた光の屈折。それはただの自然の模倣ではなく、自分の内側に刻まれた風景の断片を拾い集めるような行為なのだ。

 

思えば、自然を真似るという言葉もどこか人間の傲慢なのかもしれない。模倣というよりは、自然と同じ速度、同じ沈黙、同じ呼吸で何かをつくろうとする。そのとき、作品はどこか風景を帯び始める。これは山で見た光、庭先で感じた風、あるいは瞑想の中で浮かんだ水面の揺らぎかもしれない。そんな記憶と感覚が、素材の中に静かに織り込まれていくような気がする。

 

瞑想は、自分の制作にとって、もはやインスピレーションの源というよりも「状態」そのものに近い。座っているときの自分と、手を動かしているときの自分が地続きになる。どちらも、考えるより先に、ただ在ることを目指している。

 


存在が先にあり、それにふさわしい行動が選ばれ、最後に思考が後を追ってくる──

そんな順序が、この静かな営みのなかで、ようやく腑に落ちてきたように思う。

そして、それらが日々の自分の制作を愉しくさせてくれる。

 

自然の風景を模倣するとは、つまりは「思い出す」こと。世界に在るという感覚を、自分の身体に、手のひらに、もう一度写し取ること。その繰り返しが、今の自分の制作をかたちづくっている。

 

今日も朝の静けさのなかで、ただ座り、ひとつの風景を待つ。そしてその気配を携えながら、またひとつのかたちをつくっていく。

 


今日は、新月。夜の空に光の欠片ひとつ見えないこの瞬間こそ、なにかが静かに芽吹きはじめる時間だと感じている。目には見えなくても、内側では確実に蠢き始めている何か。瞑想のなかで出会う微かな揺らぎや、制作の途中にふと差し込む光のような気づきは、まさにこの「闇の種子」のようなものかもしれない。


新月の闇の中で、見えないものにこそ耳を澄ませながら、今日もまた静かに、ひとつの始まりを待っている。

 

うつしきオンラインでの作品の更新は18時を予定しています。

8月は展示が重なるため更新予定はありませんので、この機会にご縁がある方は覗いてみてくださいね。

 

そう、8月16日からは中国の上海での展示と、8月23日からは東京浅草橋にある白日にて展示が始まります。

現在制作中の新作をメインに持っていきますので楽しみにしていてくださいね。

 

あっ、あとインスタグラムにて私の偽アカウントが多数出没しているようです。

 

 

投資詐欺のアカウントのようなのでお間違えのないようご注意ください。

「ヤスヒルデオノ」さんと「よすひでおの」さん。

ここまでくるともうネタっすね。笑

 

ではでは、ハッピーラブレボリューションな一日を♡

yasuhide ono

yasuhide ono

Jewelry designer / utusiki owner

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