続けるということ
yasuhide ono

一週休んでしまったこのブログ。
佳王理さんとまりりんは毎週欠かさず書いてくれているのになぁと、ほんのちょっぴりうしろめたさがありつつ、数年前まで毎日書いていた頃が嘘みたいに感じている。
当時は毎日更新していたのだから、今よりずっと大変だったはずなのに、不思議なもので、数週間に一度のペースになった今の方が机に向かうまでの心理的な助走が長い。
人間は面白い。
続けている時は苦労を感じないのに、一度止まると途端に重力が発生する。
先日、山道を走りながらそんなことを考えていた。
最近は仕事以外の時間といえば、走るか、山に行くか、石を拾うか、山道具をググるか、そんな感じだ。
マラソンを初めて完走した直後は「二度と走るものか」と本気で思った。
42.195キロも走るなんて、冷静に考えればかなり奇妙な趣味である。
それなのに今は、8月末の北海道マラソンにエントリーし、今週末には水上村のトレイルランニング大会に出る予定になっている。
人間は忘れる生き物だというが、どうやら苦しさを忘れる能力にも長けているらしい。
ただ、走るようになって気づいたことがある。
体力は才能よりも習慣に支配されている。
最初は5キロでも息が切れていたのに、週に何度か走ることを続けていると、いつの間にか10キロ、20キロと距離が伸びる。劇的な変化はない。あるのは「昨日とほとんど変わらない今日」だけだ。
けれど、そのほとんど変わらない日々が積み重なると、ある日突然、自分でも驚く場所に立っている。

佳王理さんが来年ハーフマラソンに出ることを決意し、少しずつ走り始めたのも我が家にとっての小さな変化だった。
最初から「ハーフを走るぞ」と意気込んでいたわけではない。
まずは少し歩いてみる。
それが続き、徐々に走ってみる。
その繰り返しの先に、気づけば来年の大会へエントリーする未来が現れていた。
まりりんも、最近は登山に興味を持ち始め、ベアフットシューズを手に入れた。
別にこちらが強制的に勧誘したわけではない。
ただ、日々の会話の大半が山の話になっているので、多少の影響はあったかもしれない。
新しい道具の話。
山で見つけた石の話。
次はどこの山へ行くかという話。
気づけば仕事の打ち合わせなのか登山部の雑談なのかわからない時間も増えてたのは事実だ。
人は誰かの言葉よりも、その人が繰り返していることに影響されていく。
「走った方がいいよ」と百回言うより、毎週黙々と走っている姿の方が伝わる。
「山は楽しいよ」と説明するより、楽しそうに山から帰ってくる方が伝わる。
続けるというのは、自分を変えることだと思っていたが、けれど最近は少し違う気もしている。
本当に変わるのは自分だけではなく、その人の周りにある空気なのかもしれない。
気づけば店に来てくれるお客さんにも走る人が増え、山に興味を持つ人が現れ、ベアフットシューズを履く人が増えている。
続けることとは、習慣が文化になっていく過程なのだろう。

夫婦もそうだし、子育てもそうだし、商いもそうだ。
映画のような感動的な一日によって支えられているのではなく、名もなき反復によって成り立っている。
店を開けること。
家族とご飯を食べること。
本を読むこと。
誰かに連絡を返すこと。
草を刈ること。
洗濯物を干すこと。
そういう小さな繰り返しの上に人生は建っている。
人は何か特別な決断によって形作られるというより、日々繰り返している行為によって形作られているのだと思う。
だから続けるというのは、未来を変えるというより、自分自身を少しずつ作り変える作業なのかもしれない。
走る人になるために走るのではない。
走っているうちに、走る人になっていく。
書く人も同じだろう。
文章が書けるようになったから書くのではなく、書き続けることで、いつの間にか書く人になる。
そう考えると、このブログもまた一本のトレイルみたいなものだ。
結局のところ、続ける力というのは意志の強さではなく、本人が忘れてしまうほど自然に生活へ溶け込んでいる状態なのかもしれない。
気づけばやっている。
続いているものの正体は、案外その程度のものなのだろう。
一度止まってもまた歩けばいい。
歩いているうちに走り出し、走っているうちに習慣になり、習慣になった頃には、最初に感じていた重力のことなど忘れている。
そう自分に言い聞かせながら、今日も淡々とやることをやるだけだ。
新しいお店の空間もまもなくお披露目できるかな。
さぁ、今週もそれぞれの楽しいを追求していきましょう。
ラブ上等!ハッピーラブレボリューションな週の始まりを♡

