うつしき

うつしき

速度と合理性からこぼれ落ちたもの

7月23日(木)より開催中の『清水 志郎 陶展』。

 

展示開催前に、サイト内「対 話」「映 像」の取材・撮影で訪れた工房。

 

二日目の夜には、清水さんの土掘りを始めるきっかけを与えた、京都の飲食店で食事をしました。

 

美味しい食事と共に、店主の方に清水さんの各年代毎の器を見せて頂いた。

 

その過程は、固定概念にとらわれず器の可能性を探っているようにも感じました。

 

同時に、人は意思や環境によっていつでも変化できるんだと、勝手ながら勇気づけられました。

取材中、20代の頃は作陶する過程で、手廻しろくろや薪窯も使わず、効率が良い手段を選んでいた時期もあったと振り返っていた清水さん。

 

機械的ではない感触を求めて、自らを変えるために、環境を整えることから始める。

 

一貫して大事にしているのは、頭だけではなく身体を使い、五感を研ぎ澄ますように作品と向き合っていること。

コロナの影響で、改めて働き方や暮らし方が大きく変わろうとしている今、
「速度と合理性からこぼれ落ちたものが何か?」 それらをもう一度見直していく時期なのではないでしょうか。

 

経済を中心に考えると「速度と合理性」を追い求めがち。便利になった分、それを過剰に追求すると後々に歪みが生じてしまうということ。

 

その歪みは様々ところに波及してしまい、問題がおきる度に対処はしますが、根本が改善されていない為、修復が難しくなるような気がします。

 

それは僕が最近、福岡の都心部から田舎の方に引っ越したことも大きな影響を与えていると思う。

 

毎晩のように都心部のお店を食べ歩き、見よう見まねでグルメ生活を謳歌していた時期もありましたが、
下手くそなりに料理をしているいまのほうが何倍も学びや発見がある。(あくまで僕の場合です)

 

文化の発展はしっかりと受け入れ、享受したうえで、こぼれ落ちたものにまた光を当てていくことはできるはずなんです。

 

それは、一人一人の消費の意識で変わるんじゃないのかと感じています。

 

“作り手が見える買い物を心がける”

 

何かひとつを主体的に選び取る基準に、その事を軸に置くと、豊かに生きる力に変わります。

 

展示初日に購入した清水さんの器。珈琲を淹れて飲んでいるのですが、手作りであるがゆえに揺らぎはあるけれど、
毎回持ち手や口当たりによって印象が変わって、自然環境が作り上げた偶然の魅力や面白さを感じています。

 

毎日共にするからこそ、持ち物や身の回りの空間は気に入っているものを選んでいきたいです。

清水さんの展示は、8月2日(日)まで。 (期間中28日 (火) のみ店休日) オンラインは毎日18時より更新となります。

 
最後までどうぞお愉しみに。
 
小野 義明