うつしき

うつしき

はじめましての挨拶

はじめまして。

昨年の晩秋からうつしきに仲間入り
させてもらいました、野瀬瑠美と申します。

うつしきメンバーやお客様と関わる中で、
純な学びと発見を日々受けとりながら、
主には裏方の仕事や展示会時のスタッフとして
お手伝いをしています。
改めてみなさま、
どうぞよろしくお願いいたします。

そういえば先日、小野さんより
「うつしき整体部長」なる役を仰せつかりました。
役というと大袈裟ですが、
誰かから肩書を授けてもらうこととは
無縁に生きていることもあり、
どこか無性にこそばゆく、
ささやかに誇らしげな気持ちに
なっていたりするものです。

元々わたしは、「 間 (あわい)」という屋号で、宮若市のおとなり福津市にて
タイ古式マッサージや反射療法の施術、
歩き瞑想や様々な知恵を混ぜ合わせた身体ワークの実践を軸に活動しています。

触れるものも 触れないものも、
どちらも健やかに巡っていくために
<身の手当て>と<気の調え>
2つの視点で動いています。

原体験は、自分の弱さや醜さと
ひたすら向き合い続けた経験と
いつからか覚えていないくらい
以前から確信している
「ひとには夫々その人らしい
生き生きとした姿がある」という強い思い。

そのことを思い始めた当初は、
ひとの健やかな状態に寄り添うためには
心や気持ち、マインドである精神面のほうを
扱いたいと思っていました。
そちらのほうが大切だと。

いまでも大切にする気持ちは変わりませんが
精神ばかり見ていても精神の健やかさは
ないのかもしれない
ということに気が付きました。

たとえば精神を整えたいとき、
精神とにらめっこばかりしていても
わたしが感じる「健やかさ」には
向かっていかないような。
むしろどんどん沼に嵌っていくこともある。
もちろん逆も。

わたしという存在がこの世に立っていられるのは
魂と、それを容れる体があるから。

どちらかにどっぷりとアプローチすることにも
役割はあるけれど

どちらも在って、成り立ってゆく命であれば
どちらにも偏らずに観ていき掬うことで
辿り着ける場所が
あるような気がしています。

あらゆることの「間」に
健やかさは息づいているのではないかと
そんな風に思います。

春。
ただでさえ心躍り期待に胸が膨らむ一方、
心惑い乱れ落ち込んだりする季節
今年はより一層そうかもしれませんね。

未来はわかりません。
過去はもう終わってしまった。
仕方がないからゆっくり寝て、食べて、
水を飲んで、歩いて…
すこしでも、心と体が健やかでありますように。

いつか、どこかでご一緒できる日を
心待ちにしています。
 
 
のせるみ