うつしき

うつしき

感謝の源泉

新年あけましておめでとうございます。

年末年始みなさまはいかがお過ごしでしたか。

きっと少なくはない方が、あたたかで清々しい記憶と同時にこの年明けに起こったいくつもの大変なできごとについて思わずにはいられないのではないでしょうか。

今日は極めてひとりよがりな散文になりそうです…

 

2017年、私が今や私にとって重要な行為である舞踏と出会った初めての土地は紛れもなく能登半島珠洲市の、上黒丸という山奥の集落でした。

それから2年に一度は輪島を含めて能登半島を訪ね、いつも決まった塩屋で塩を買い、漁業関連の仕事で足を運びもしました。

映像ニュースを避けてしまうほど、言葉にならない日がつづきます。

実際に暮らしているひと、大切なひとがその土地にいるひとのことを考えると全く言葉を紡ぐ気になれず、お悔やみの定型文さえ打てません。

2013年から2016年まで働いていた屋台は、北九州市の小倉にありました。

日が暮れる頃に屋台を準備し、からっぽになった大きな鍋を2時ごろ片づけていたのは、北九州の台所と呼ばれてきた旦過市場の目の前。

しかし旦過市場は一昨年2回の大火災によって多くのお店が燃え、屋台に立ちながら合間を見ては食べていたソフトクリームを作ってくれた果物屋のおばちゃんとはもう会えなくなりました。

それ以来、かつての景色がほぼ消えた界隈に行くことをどこか避けてしまっていたのですが、屋台を挟むようにして反対側にのこる古い食堂街にはいつもの人たちがいつものように変わらず商いをしているのでよく通っていました。

年明け、鳥町食堂街と言われるその場所も、ほぼすべてのお店が燃えてしまいました。

70歳、80歳を越えても店を愛し客を愛し町を愛した大先輩たちが、なにかの糸がきれたようにお店をたたむ姿はとても悔しいものがあります。

正確には思い出せませんが数年前のある頃からずっと、飛行機に乗って機体が離着陸するとき、こころの中で感謝を唱えています。

誰にも言ったことのない習慣でしたが、年明けに起きた事故とその結果に、一層気持ちを強くしました。

 

年明けのいくつもの悲しくやるせない出来事は、「善良」に働き生きるひと、いのちを支えてくれる全てのもの、失うと二度と元に戻ることはない長い時間を映した景色への深い感謝を感じることになりました。

 

語弊(不謹慎)を恐れず言うと、愚かにも見失いがちな感謝の源泉に光を当ててくれました。

 

遠くのことも近くのことも見渡せばたくさんの悲しいことが溢れていますが

とはいえ、自分は今生かしてもらっていることに感謝しながら

地に足つけて、己を全うすることに集中するほかないのだということもまた

こうして記しておきたいと思います。

 

みなさんにとって、歓びが待つ一年となりますように。

 

今年もよろしくお願いいたします^^

 

 

のせるみ