立春から雨水へ。
土脉潤起(つちのしょううるおいおこる)
旧暦では田畑が潤い、ここから農作業を始める目安とされていたそうですが、
まだまだ朝は冷え込み、起きるのが億劫な日が続いています。
昨年の手帳を見返すと2月22日に初めての菜園塾に行っていた印がありました。
夏に比べて畑に出る頻度がめっきり減ってしまいましたが、
冬こそ土作りをするとても大切な時期だということを教わりました。
少し遅いけど、、今月中にやらなくっちゃ!と、密かに気合いを温めています。
今年やりたいと思っていること。
ひとつは、草刈機を使ってみること。
いつも男性に任せてしまっているけれど、自分もできるようになりたいと思っていました。
実はちょっとびびっていて、”重い”とか、”刃が怖い”とか、一歩が踏み出せずにいたけれど、、
土作りに草は必要不可欠。そこに生えている草たちが肥やしとなるからこそ、自分の手で出来るように。
せめて1度は挑戦してみようと思います。
もうひとつは豆を育てること。
味噌を作るための豆です。
5年前にも一度育ててお味噌をつくりましたが、乾燥させて鞘から豆を取り出す作業に懲りて嫌になってしまい、
やる気を失ったまま数年でしたが、その考えを覆す出来事がありました。
先日、畑で掘り起こした里芋をゴシゴシと土を落としながら洗い、皮を剥こうとした時です。
「身と土、二つにあらず」
この言葉が頭の中をよぎりました。
食養運動のスローガン「身土不二(しんどふじ)」。
「身」はひとの身体や健康、 「土」は土壌や地元で育った農作物を意味し、『体と土とは一つである』とし、
人間が足で歩ける身近なところ(三里四方、四里四方)で育ったものを食べ、生活するのがよいとする考え方は、
参考にしている循環農法でも書かれていて、食に関心がある人なら知っている言葉かと思います。
畑を始めてから、全ては繋がっていると頭で分かっていても、
やっぱり”野菜は野菜” 、”土は土”、 ”人は人”と無意識に分けているんです。
里芋を包む土を取ろうとした時に、土を直接口にしないけれど、里芋から土の命を頂いているということを
本に並ぶ字面からではなく、自分の手からそれを感じた瞬間でした。
同じところに居て、同じように季節を巡った野菜は身と土、二つにあらずだと。
嬉しくなって、その日は、皮を剥くのをやめて、土の香りごと、そのまま素揚げをして食べることにしました。
そんなことがあって、
共に過ごした豆でお味噌を作れたら、
日々、身と土は一つであることを忘れず、味わえるのではないかと思い、
豆を植えようと決意したのでした。
面白いことに、
「身土不二(しんどふじ)」の語源は仏教の「身土不二(しんどふに)」。
調べていくと、ある論文に辿り着きました。
その中のまとめで、仏教という文脈のなかで考えれば、
「身土不二(しんどふじ)」という語は食養運動で語られるような意味で用いられることはありえない。
なぜなら仏教思想としての「身土不二」 は、本来きわめて宗教的な概念であるからだ。
と書いてあるじゃないですか。
じゃあ、同じ漢字でどのように仏教では解いているのか、
四種浄土、常寂光土、、盧遮那仏,、、、、仏教用語の理解、概念が足らず、
本来の「身土不二(しんどふに)」の教えを体得できず。
そんなに簡単には理解させてくれないのがいい。笑
長い月日をかけてこの言葉の中身を知りたいと、ひとつ愉しみが増えました。
さて、今日は はいいろオオカミ + 花屋 西別府商店 展 最終日。
雨が続いていましたが週末から太陽に見守られ、また店内は違う見え方をしています。
植物も古物も分け隔てなく融合しているこの世界観にたっぷりと魅了されちゃいましょう。
本日もどうぞ宜しくお願いします。