うつしき

うつしき

思い出す

6月というのに連日夏日が続き、
遠く天からの熱量がずんと届く。
昨日から久しぶりに梅雨らしい雨降りの福岡。
5月末頃より青梅がちらほら出始め、SNSではそれぞれの作り方での梅仕事の様子がたのしげに並ぶ。
私も祖母の山で採れたもので今年も何かしら拵える。
塩や砂糖の結晶の間から梅の産毛が時折銀色に煌めく景色に変わるのが密かなたのしみ。

゛わたしたちは、氷砂糖をほしいだけもたなくても、
きれいにすきとおった風をたべ、
桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます゛
——からはじまる宮沢賢治の注文の多い料理店の序章が頭にながれてくるのも毎年この時。

追熟で部屋が梅特有の甘くうっとりする香りでいっぱいになる。
この香りで思い出すことがある。

以前、他県から遥々来てくれる友人を実家に連れていくね、と母に伝え帰った時のこと。
誰もいない家の戸を開けた。
するとこの香り。
電気の消えたしんとした居間にカーテンの隙間から日光が滲み、
仄かな明かりの中、梅の実とどくだみと小さな山紫陽花がかわいらしく飾ってあった。
ささやかなそれは疲れがじんわり引いていくような、
清々しさと労う甘やかさが伝わってきた。
仕事で不在であったけれど、友人に寛いでねという気持ちが部屋の気配に満ちていた。

いつも傍にあるものを何気なく飾ってくれていて、
お手洗いの植物には手を洗う毎に嬉しくなる。
日々水を替え昨日の花がだんだん短くなり別のものを足して、
また入れ替わり。
家や、祖母のお寺、お花を育てるご近所さんにもらったもの、
その日その日の心に留まった植物を生けているのだろうなあと思うと、
間接的に花の形をした日記のようにも見え、
小学生の頃に長く続けていた母との交換日記に重なった。

こんな植物に纏わる背景がとても好きで、誰しもがほんのわずかでも持っている小さな出来事を
植物をとおして思い起こす瞬間に出逢えるとこの上なく心震える。
花屋の仕事を選んだはじまりも、植物の姿かたちの魅力だけでなく、その存在や役割に強く惹かれたからだった。

とても控えめで周りの人を立て自分は一番後ろにそっと寄り添うような母の、
ささやかなことに悦びを見出す力に感服する。
名前の満哉は発音はお釈迦様の生母である まや様からもらったそうだが、
漢字の並びを掘り下げると 満ちる 哉かな
詠嘆とも疑問ともとれる感嘆詞が、不完全さを美しいと表わしているよう。
ついこうじゃないと!と決めつけてしまう思考を、緩めほぐす魔法の言葉。
念頭に置いておきたくつらつらと忘れたくないことのメモ。

 

今日までうつしきは初夏の鉱物まつり!
小野さんが長い期間かけて集めてきた鉱物たちを一同に集められた滅多に見られない貴重な展示。
連日大賑わいで、石好きの子どもたちの多さと博学っぷりにもびっくり。
図鑑を手にお目当ての石を観察している子。
小野さんへの質問をノートに丁寧にまとめてきてくれた子。
それぞれの真剣な眼差しを見せてもらえた時間。
植物も鉱物もなんだか近しいようで、
通り過ぎてしまうかもしれないこの地球のほんの一欠けらを、
大切に掬い上げた誰かの宝物となり、糧になっていく。

今日もみなさん各々にかけがえのない一日を〇

小西 紗生