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瞑ればそこには

小野佳王理

小野佳王理

小野家5人の子どもとの奮闘記 / 賑やかな日々とうつしきのこと/ 土日はうつしきのお店番
瞑ればそこには

瞑想は苦手だ

次から次へと言葉や映像が浮かぶ

足は痛く、目を瞑ると睡魔というトラップがやってきて、5分が限界

 

そんな自分が初めて30分目を瞑って座り続けることが出来て、感動してしまった

 

6月12にAmrita Ayurveda たなかひなこ さんをお呼びして、3回目の学びの場を開催

 

今回は”瞑想”について

外の音を意識し、呼吸や内側を流れる音を意識するようにと誘導をされると

眠気が消え、浮かんだ思考に対して意識を向けることなく、内側にきちんと存在している自分を確認する意識へと変わっていくことを体験

これから瞑想を続けていったら、徐々にしまっていた潜在意識とどのように対峙していくのか、更に興味が湧いてきました

 


 

日々座る習慣が身に付いたのは

前回のひなさんの学びの場で”黙想”を教えてもらい

“瞑想”という言葉がもつ概念から解き放たれてからでした

それまではずっと、自分にはできない、目を閉じていられない

無になれない、何にも得れないと、苦手意識がとてもありました

 

でも座れるようになってくると、はたして、、瞑想とは?

紀元前から続く”瞑想”が一体何なのだろうかと、

ひなさんならその疑問を紐解いてくれるような気がして今回の学びの場のテーマとしてお願いをしました

 

何のために人は瞑想をするのか、

まだ自分の中で消化できていませんが

それはこれから続いていく中でひとつひとつ整理をしていこうと思っています

 


 

今回、わたしの中で

エゴとの関わり方が大きく変わりました

わたしたちは自我というエゴを持つから苦しむ

それを”無くす、持たない、捨てる”ために瞑想をするのだとばかり思っていたけれど


“エゴ”を自分が生きていくための”道具”のひとつとして使う

そのエゴを整理し、向き合うことによって、自身の存在の本質的な源と繋がっていくのだという

 

エゴはそこに向かう為に必要不可欠なものであり、わたしの一部だと思ったら

愛おしい存在であり、共に生きていくものなのだなと腑に落ちました

一気にマイナスからプラスイメージですね 笑

 

わたしの無茶振り内容に応えてくれるひなさん

一番興味があることをいつも学ばせて頂いてそれを皆さんと分かち合えるのが本当に嬉しい

 

また来年6月頃を予定していますのでお愉しみに!

まだまだ学び続けますよ〜


今週も学び多き日々を◎

 

小野佳王理

小野佳王理

小野家5人の子どもとの奮闘記 / 賑やかな日々とうつしきのこと/ 土日はうつしきのお店番

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