せいかつのまんなかに、ただあるもの
小野佳王理

おはようございます。
冬至を迎え、今年もいよいよ残り10日となりました。
どんな一年だったでしょうか。
何があり、何ができたでしょうか。
そして、何ができなかったでしょうか。
わたしはというと、ひとつ。小さくも大きな革命がありました。
それは「ただ(唯、只)」という言葉との出逢いです。
日々の食事、仕事、家事、子育て。
それらはどこか実務的で、生きるために必要な活動。
いわゆる「せいかつ」です。
人はその「せいかつ」の中に、どうにか喜びや満足を見つけようとします。
けれど、その「せいかつ」は何かをしてもしなくても、生きている限り、ただ過ぎていくもの。
ある朝、瞑想をしていたときのこと。
ご飯を炊く音、洗濯機が回る音が聞こえてきました。
それが心地よくて、
「ああ、これはわたしの“せいかつの音”なのだな」と思いました。
静まり返った中で、かすかに聞こえる鳥のさえずり。
遠くを走る車の音。
子どもの泣き声。
そのすべてが、せいかつの中にあり、
暮らしを彩ってくれているのだと、思うようになったのです。
それらは「ただの」音。
取り立てて言うほどの価値も意味もない、
平凡で、ただそれだけのもの。
けれど言い換えれば、
それは「わずか」「ほんのたった」「唯一」の瞬間の集まりでもあります。
「ただ」と聞いて、
「ただ(無料)!? いぇ〜い!」と喜ぶ子どもたちのように、
“ただ在る”ということは、本当はそれくらい喜ばしいことなのかもしれません。

今年一年、続けてきた写経をお休みしました。
うまく書きたい、という思いがどうしても先立つため、それを一度手放し、「読む」ことだけをするように。
その中でいつも心に残るのが、「観自在菩薩」という言葉。
自在に観ること。
それは何もお坊さんにならずとも、今ある、せいかつの中でできるのではないかと思ったのです。
このせいかつの中で気づき、生まれてから今日まで、知らず知らずにこびりついた価値観を少しずつ壊し、視点をずらすことで、生きやすくなるのだと感じるようになりました。
今、この文章を書いている目の前で、
7歳の次男が本を読みながら、
「ねぇ、“しつこい”ってどういうこと?」と聞いてきました。
「“きいて、きいて、きいて、きいてーーー”っていうこと」と答えると、
「あ、ぼくのことだ」と笑顔で言うので、二人で大笑い。
さらに本を覗くと、
「はつこいのひとの なまえを おしえて」と書いてあって、
さらに笑っちゃったけど、物事をこんなふうに、初めて出会う言葉のように、
いったん置いて、問い直せたらいいな、と思ったのでした。

2025年のうつしきの営業は12/29日が最終日となり、2026年は1月3日から始まります。
今年もうつしきを通して沢山の方と出逢い、皆さんの様々な視点から、自在に観る心を学びました。
ただある、この一瞬一瞬を共にできる喜びを胸に。
来年も宜しくお願いします◎

