うつしき

うつしき

人を象るもの

近年、日本のファッション界を牽引してきたデザイナーたちの訃報を耳にすることが増えてきた。
戦後ほどなく世界を舞台に、新しい選択を提唱しつづけエネルギッシュに生涯現役をつらねた方々。
装いの記事を任せてもらいながら、流行=ファッションについて疎い半生を送ってきてしまい、その世界をなんとなしに遠巻きに眺めていた。
そんな私でも思い入れのあるのがイッセイミヤケを展開していた三宅一生さん。

きっかけはごくごく単純で父がよく着ていたからだ。
デザイナーとしての認識よりも、幼少の頃に見ていた景色として衣服が色濃く記憶に残っている。
一枚の布からできることを様々に追求された代表的なデザインpleats pleaseはいつも出張のお共に鞄にくるくると丸めていれられていた。
折り紙のように自由で、形状記憶されたびよんと伸びる不思議な布地がおもしろくて
はじめて布に興味を持った機会だったかもしれない。
それから一度見たら忘れられないボタンまで魅力的なシャツ。
服の形をした一種の完成された美しい造形物のようでいて、
美術館に追いやられるでもなく日常着として日々に寄り添うことを前提としてつくられた服。

自営業ということもあり父が授業参観に来てくれることが多かった。
当時きれいにスーツを着たお化粧の匂いをふわっと纏うお母さんたちの中、イッセイの服を着た父はとても浮いていた。
田舎の小学生(もれなく私も)には奇抜な恰好のでかいおじさんとしてとても奇妙に映っていたんだろう。
こそこそ囁かれるうわさ話にこそばゆくなったものです。
それでもなぜだか父のキャラクターを形成するものとして、
子どもながらに強く印象づけられて思い出すのはそんな服を着た姿。

意外と人の印象は共に時間を過ごした時に身に着けていたものが、
その人を表わすものとしてイメージを作っているように思います。

例えば幼い頃人ごみの中ではぐれないよう袖を引っ張ったら、
全然別の似たような様子の服を着た人だったことは誰しもあるのではないでしょうか。
あるいは街中で見かけた知らない人の服の併せに、知人っぽいなあとか、
あの人が好きそうな恰好だなあとか。
目の前にいる時だけでなく衣服が誰かを想い起させることもある。

お盆をすぎて心なしか空気がさらさらと変化する気配。
季節がまた一歩すすみ秋の装いに様変わりするのはもうすぐです。
纏ってみたい憧れの衣服に袖を通すと、いつしかあなたを形成する要素として
欠かせないスタイルとなるかもしれません。

おすすめの衣

 
野蚕とよばれる野生の蚕からとった絹糸で織られたタッサーシルク。
不均一な糸はところどころ自然なネップが生まれるのが魅力。
やわらかな光沢感があり普段着にも、特別な日にも。
細部まで丁寧に手をかけられ二つとして同じものはない野原がつくる唯一の衣は、
纏うと変身させてくれるような高揚感をもたらしてくれます。