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変わりゆく日々のなかで、静けさを据えるということ

yasuhide ono

yasuhide ono

Jewelry designer / utusiki owner
変わりゆく日々のなかで、静けさを据えるということ

気づけば今年も、すでにいくつもの季節をまたぎ、手のひらから水が零れるように時間が過ぎていった。

 

世界は今も、濁流のように揺れている。

 

地球の裏側では戦火が絶えず、気候は不穏な兆しを孕み、あらゆるものが「予測不能」の名のもとに形を変えていく。

 

誰もがそうした不安定さの只中にいて、ともすれば根の浅い浮き草のように日々をやり過ごしてしまいそうになる。

 

けれど、そんな時代だからこそ「根を張る」ということの意味を、あらためて見つめ直している。

 

今年、うつしきと喫茶の前に、ようやく敷石を迎えた。

 

庭も剪定が入り、草木の間に光と風が通るようになった。

 

長らく手をつけられなかった外構まわりに、ようやく人の手が入ったことは、まるで自分自身の身体の感覚が少しずつ整っていくようでもあった。

 

石が並ぶということ。それは、風景に「意志」が宿るということだ。

 

過去と未来のあいだに、小さな持続を据えるということ。

 

この敷石の仕事をともにしてくれたのは、庭師・gibetaのヤスくん。


土の名を背負い、植物や石に敬意を持って向き合う彼の佇まいには、自然を「制する」のではなく「聴く」ような誠実さがある。

 

その誠実さが、自分の中にあった「変えたいけれど、変えられなかったもの」たちの背中を、そっと押してくれたのだと思う。




うつしきの裏手、小部屋の改装も進んだ。

 

押し入れは解体され、新たに床が貼られ、左官の手によって土壁が塗り込められた。

 

土が呼吸をするようなこの壁は、空間に「静けさの厚み」を与えてくれている。

 

この部屋は、これから物販のスペースとして人を迎える場になる。

 

けれど、ただ物を並べるだけではなく、「ここに何があるのか」「なぜ、これがあるのか」といった問いが滲むような場にしたい。

 

さらには、近所にようやく良き倉庫を見つけ、そこもまた未来の余白として改装を待っている。

 

その前に、母屋の離れのほうも整えたいと思っているし、我が家のなかでも、来年受験を控えた息子の為に子ども部屋をもう少し広げたいと考えている。

 

空間を整えるということは、ただ「便利にする」ことではない。

 

暮らしのうちにひそむ願いや余白に、輪郭を与えることだと思う。

 

家のなか、店のまわり、そしてwebのうえ──あらゆる場所で「改装」が起きている。




 

今度の新月には、webサイトも新しく生まれ変わる予定だ。

 

お店を始めて10年という節目。

 

振り返れば、これまでに積み重ねてきたもののすべてが、まるで樹木の年輪のように時間を刻んでくれているのがわかる。

 

けれど、これまでの歩みや思いの深さに対して、webがどこか表面的に感じられるようになっていた。

 

そこには確かに情報が載っているのに、温度や手ざわりまでは伝わっていない気がした。

 

進化の速いテクノロジーの世界では、「古くなる」ことは避けられない。

 

それはひとつの宿命のようなもので、何かを記録し続ける媒体であるからこそ、なおさら更新が求められる。

 

でも、単に見た目を洗練させることだけに興味があるわけではない。

 

目指したいのは、web自体が表現メディアになるということ。

 

言葉や写真、音や空気感が、その場にアクセスした誰かの記憶とどこかで呼応するような、そんな媒体としての可能性を、あらためて信じてみたいのだ。




 

混乱の時代であることに変わりはない。

 

世界情勢は不確かで、先の見えないことばかりだ。

 

だけど僕たちの人生もまた、有限である。

 

今日という日は、誰にとってもたった一度しか訪れない。

 

そのことだけは、あらゆる不確実性のなかで、もっとも確かな「真理」として僕らに与えられている。

 

だからこそ、自分にとって大切なこと──

 

大切にしたい人、もの、風景、感覚をもっと増やしていきたい。

 

価値観の合う人と出会い、話し、共に何かをつくること。

 

やってみたかったことに、小さくても手を伸ばしてみること。

 

その積み重ねが、たとえ混沌のなかにあっても、自分という存在の「重み」になる。

 

有難いことにまわりには素晴らしい人生を送っている人たちがいる。

 

彼らに共通しているのは、自分が「嫌いなもの」や「敵」を語るのではなく、自分が「愛しているもの」について、まっすぐに、情熱を込めて語れるということだ。

 

それも、どこか醒めた目線からではなく、時に涙をにじませるほどの熱をもって。

 

そういう人のそばにいたいし、自分もまた、そうありたいと思う。

 

人は結局、自分の愛しているものの総体によって、その人生のかたちをつくっていくのではないだろうか。

 

変化の激しい時代にあって、

 

変わっていくことと、変わらずにいることのあいだに、

 

自分なりの静けさを、今日も据えていく。

 

5月10日からは、約6年ぶりとなる任飢餓による展示がはじまります。

 

喫茶室では、小豆島で宿を営む橡人による乳茶屋台がひらかれ、土と茶と語らいのひとときが、静かに場を満たしてゆく。

 

環境活動家・岡本よりたかさんとあやさんによる講座も、まもなく開催を迎える。

 

知識を超えて、暮らしに根ざした智慧を分かち合う時間となるだろう。

 

明日は、6月に展示を予定している岡山の陶芸家・河合和美さんのもとへ取材に。

 

その翌日には、9月に展示を予定しているi a iの“なきうみ”へと取材に向かう。

 

どれも忙しなくみえる日々の出来事だけれど、

そのひとつひとつが、僕にとっては“静けさ”を耕すための種まきでもある。

 

世界が揺れても、自分の手の届く範囲で、光を注ぎ、声をかけ、土を起こす。

 

そうして育っていく小さな風景のなかに、

ほんとうの変化は、そっと芽を出しているのだと思う。

 

今週もハッピーラブレボリューションな日々をお過ごしください♡

yasuhide ono

yasuhide ono

Jewelry designer / utusiki owner

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