透曖明昧─葛藤する日々

yasuhide ono

ここ数年、心から納得する新作をつくれていなかった。
冒頭の書き出しから少し重いので恐縮だが、誤解を恐れずに続けると、展示ごとに毎回新作は作っているのだが、展示に向けた新作という感じでその時の最善ではあるのだが、自分の中の深い部分から繋がるという意味では少し離れているものだった。
もちろん、制作に気持ちを込めることは変わらない。
ただ、それよりも、売れるものと作りたいものの間に挟まれ、消費されていく感覚に抗えなかったというのが正しいだろうか。
それはいつ頃からだったんだろう。
初めて展示会をしたのはファッション業界で活動していた14年前で、当時は年に二度バイヤー向け展示を行い、セレクトショップに卸すというサイクルで動いていた。
数年はそのペースで続けていたものの、その速さに疑問を覚え、年一回の展示へ移行し、今の旬な気分で作れるということでギャラリーでの個展ベースの活動に切り替えた。それは多分インスタなどのSNSと連動した活動に移行していったとも言い換えられるかもしれない。
このままでいいのか──。展示を控えていれば手は抜けない。しかし定番の焼き直しばかりになれば、新しいものが生み出せないヤツという、今でいう「オワコン」という恐ろしい言葉が脳内に蔓延する。似た作品があふれ、空虚さと嫌気が募っていった。活動の幅は広がったが、自分の中の速度は追いついていなかった。
そこで2年くらい展示のペースを落とし、あらためて「今、自分が何を作りたいのか」と向き合った。
好きなものや関心は急に変わらない。技術にも限界はある。
それでも、もう一度、自分が心からワクワクするものを作りたい──そう思った。
それは以前みた景色のひとつだった。
朝の光のなか、ひと筋の水が、まっすぐに垂れていた。
粒はすべて違うかたちをしているのに、不思議と乱れがない。
整えようとする意志すら見えないのに、何ひとつ足りず、何ひとつ余らない。
そのまま腕に巻けたらと、何度も思った。
けれど自然の構成力は、人の意図や技巧を軽やかに追い越していく。
計算を超えた無作為の秩序。
そこに触れるたび、自分の手がどれほど不器用に感じられたことか。
だから、せめて近づくように、真似るように、手を動かす。
届かないと知りながら、それでもなお、かたちにしたいと思う。
水のように、儚く、それでいてたしかな輪郭をもつものをつくりたい。
そこから言葉やイメージを集めた。
透明、うつろい、境界、曖昧さ、輪郭、水、水晶、光、影、あわい──。
そこからできたのが新シリーズである【透曖明昧】である。
御察しの通り、透明+曖昧という言葉を掛け合わせて造った造語である。
今一度それぞれの意味を見ていく。
透明 ( とうめい ) とは、物体の反対側や内部にあるものが透けて見えること。 極端な場合には間にある物体が存在しないかのように感じられる。 また曇ったり、歪んだりはしているが透けて見えることを半透明という。 転じて「透明な」「透明性」などの形で、比喩として様々な意味・文脈でも用いられる概念である。
曖昧(あいまい)]は、狭義には、物事が二通り以上に決められ得ること、一意に決められないことを指す。単語や文章が二通り以上の意味で解釈されうること(多義性)を指す。
ただし日本語では、不明瞭なこと・はっきりしないこと全般を指し(英語: uncertaintyに相当)、広義に用いられることが多い。
白川辞書で各漢字の意味を紐解いてみると
透(とう):透き通る、奥まで見通せる、光が抜けるような感じ。透明性、浸透、微細さ。
曖(あい):はっきりしない、ぼんやりした、あたたかく霞む感じ。曖昧さ、柔らかさ、輪郭のにじみ。
明(めい):明るい、明瞭、はっきりとした状態。知性や光、照らすもの。
昧(まい):くらがり、未明、よく見えない状態。混沌、無知、闇の中にあるもの。
そこから浮かんだ感覚は──
光がにじみ、かたちが溶け出す瞬間。
見ることから感じることへの移行。
輪郭が失われていく美しさと未定性。
「明らかであること」に距離を置く視線。
そんなところからできたのが【透曖明昧】である。
【透曖明昧】
光と影のあわいに、輪郭は霞み、
かたちはまだ「かたち未満」のまま、そこにある。
曖昧さ、揺らぎ、滲み。
それらはすべて、境目に宿る静かな気配。
確かなものより、
ほどけてゆくものにこそ、
名づけえぬ たゆたう光が ひそんでいる。
このシリーズは、海や空で撮りたかった。
境界の輪郭がゆがむ、視覚的な境があいまいになる瞬間が理想だった。
白黒や善悪を迫る二元論が支配する世界で、少しは曖昧さを肯定したい。
誰かの「正しさ」が争いの火種になるくらいなら、「曖昧でいいじゃないか」と本気で思う。
あれこれ言葉を尽くしても、結局のところ、
今はただ、自分が心から作りたいものを作れている。
ずいぶん時間はかかってしまったたが、今はそのことが何よりも嬉しい。
展示はいよいよ今週末から、上海のギャラリーで始まります。
街の湿った空気や喧騒の中で、どんなふうに作品が息づくのか、自分でもとても楽しみです。
そして9月6日からは東京・白日へ。
そのあとは宮城の「いびつ」に巡回します。
それぞれの土地に流れる時間や光が、作品の見え方を少しずつ変えてくれるはず。
お近くの方は、ぜひ手に取ってご覧いただけると嬉しいです。
実は、今回の【透曖明昧】とは別に、もうひとつ新作シリーズを用意しています。
こちらも個人的に納得いく仕上がりとなってきました。
まもなくのお披露目の日まで、どうぞ楽しみにお待ちください。
うつしきは来月で丸10年を迎えます。
思えば、こんな辺鄙なところに誰が足を運ぶんだと言われ続け、それでも少しずつ人やものが集まり、いくつもの景色を見てきました。
今年の秋から年末にかけては、その節目を彩る展示が続きます。
まずは、今週末からはじまる企画展「こぶつ、こうぶつ」。
古物と鉱物、どちらも“時”を宿す存在です。
その静かな魅力を、会場でじっくり感じていただければと思います。
今日は山の日。落ち着いたら山に登りてぇ〜。
保育園もやすみなので賑やかな一日となりそうです。
では、今週もラブリーでハッピーな一週間を♡