うつしき

うつしき

木菓子の王者

稲穂が揺れ、燦々としていた景色がゆっくりと丸みを帯びてきましたね。

 

庭の柿の実も、一見緑色ですが、よく見てみるとうっすらと黄色が見え隠れしています。

 

今までなら橙色になってようやく目に入っていた柿の木。

 

合気道を一緒に習っているよしさんは染物をしていて、庭の柿から柿渋が採れることを教えてもらい、処暑の頃、人生で初めて柿渋作りをしました。

 

柿渋を用いた衣や作品は手にしたことがあるものの、私自身は刺繍の作品を制作する中で興味を持っていましたが、
柿渋自体を手にしたことも、使ったこともありませんでした。

作業中、よしさんが柿を見ながら“ちょっと遅いかもなぁ…”と呟きました。

 

柿渋作りは柿が甘くなる前の青柿で、果肉が形作られ、種が育っていない最もエネルギーがある頃にするそうです。

 

その柿をとにかく叩いて、潰して、水に浸し、最後に渋を搾り出し、発酵させます。

 

二日間に渡り、ご教授してもらいましたが、何も知らないわたしは無知の知状態。

 

何本もある庭の柿の木について、何にも見ていなかったし、知ろうともしなかった自分に気づく。

 

よしさんが貸してくれた宮本常一著書の「漆・柿渋と木工」の本を読むと、庭に先祖がなぜ柿を植えたのだろうかという疑問が解けていくのと同時に、
かつては木菓子の王者ともいわれていた柿が暮らしの中で不要になっていく社会的背景も知る。

 

沢山ある柿を目の前に、わたしはその背景に逆行して、柿を一年の行事のひとつとして取り入れたいと思うようになりました。

もともと柿は、想い出深い果物のひとつではありました。

 

渋柿の方が耐寒性があるようで、母の実家には大きな渋柿の木があり、毎年その渋柿のヘタに焼酎を浸けて、甘くなった頃に食すのが秋の行事。

その柿を“しぶはっちん”と呼んでいたのは、新潟の名産、種なしの”八珍柿”からだったのでしょう。

 

わたしは焼酎を漬けると種がなくなる…と誰かに言われ、信じていましたが、もともと種がないという衝撃の事実を知る。

越後七不思議以上の不思議はわたしの胸中にしまっておこうと今になって学んだのでした。

 

さて、故郷とは違い、庭の甘柿は食べたいときに木からもいで食べれて嬉しいと思うものの、
数個食べれば満足し、沢山の実がついたまま朽ちてゆくこと数年。

 

今年は10月10,11日にうじゃ姉(余韵さん)をお呼びして柿のお菓子作りを学びの場で出来ないかと企画しています。

 

募集は9月末頃にわたしのインスタグラムにて告知しますので、ご興味ある方お見逃しなく。

そして今週末18日からはうつしき6周年企画

 

笑達×川井有紗 作品展」が始まります。目の前のものをただ見つめ続け、またとない景色に出逢う。

 

生き、全うする喜び。沢山の”たまきはる”を感じにみなさん是非いらしてくださいね。

 
小野佳王理