うつしき

うつしき

師馳す

僧侶の師が東西を馳せる月

“師馳す(しはす)”

 

今年の22日から始めた写経

毎日一行、文字と意味をなぞって約15

短い時間の中、沢山の事を学ぶ事は出来ないけれど

それが今与えられた限りある大切な時間だということを知ることから一日が始まるようになりました。

 

お陰で仏教がとても身近になり

知れば知るほど広がっていく世界は難しく、けれど面白いが優るこの頃。

日常で出逢う言葉、使う言葉、辞書で調べると”仏教用語より…..

という言葉が注釈に書かれていることが多いことも今までは見逃していたこと。

そもそも”注釈”の”釈”はお釈迦様の”釈”であり、”語の意味をときあかす”という意味だそう。

知らず知らずのうちにわたしたちは仏教用語から派生した言葉を使っていて

5世紀頃に日本に伝わった仏教が

宗教観が少ないと言われている2023年を生きるわたしたちにも根付いているということに驚きを隠せません。

先日、5歳の次男が袋を片手に持ちながらお菓子を食べていると

兄妹たちから”ちょうだい、ちょうだい~”と言われ

“だめ!僕のお菓子がなくなっちゃうよ!

といい、途端に怒って不貞腐れてしまうことがありました。

 

“ぼくの”、“なくなる”という概念が不機嫌に繋がるんだなぁと思い、

“あおちゃん(次男)、その目の前にあるお菓子は今はあるけど、いつか必ずなくなるんだよ。

そのお菓子はあおちゃんがたまたまただ手に持っているだけ。

君のものではないんだよ。”

と、般若心経風にあおちゃんよ~(舎利子 色不異空 空不異色)と言うので、長男も笑って

“そうだよ、全てないんだよ”

と話に乗ってきて

“いつかなくなるならみんなで一番美味しいときに楽しく食べた方がいいね”

という結末になり、次男はよくわかんないけど

まぁいっか!みたいになり、みんなと楽しく食べたのでした 笑

 

こんな風に愉しく?子どもたちと仏さまの教えを元に話が出来るのが面白いなぁと思った出来事。

未だに般若心経は覚えられないし、字は癖が抜けずイマイチ。

けれど、10ヶ月続けてみて

その中で気づいたことが日常の行為の中で変化していることに気づきました。

今年最後の展示でもある功刀 匡充 展

今週末9日、10日は神ノ川舞宙音さんによる懐石料理 師走ノ昼膳です。

禅僧が空腹をしのぐために懐に入れていた、「温石(おんじゃく)」が由来であるとされる懐石料理。

残席わずかとなりました。ぜひこの機会にご予約くださいね。

共に師走の月を堪能しましょう。

今週もよ〜い一日を○

 

小野 佳王理