Namaste
学びの場を皆さんと共有して、おおよそ三週間が経った。
参加してくださった方達の中で、あの日から、この文章を読んでいる今この瞬間まで揺るぎなく会陰 -えいん-
(骨盤底筋群——肛門と性器の間の複数の筋肉)を引き締め続けていたという人が、もしいたら、すぐに弟子入りしたいので教えてほしい。
そして、その知らせを待たずして決めつけてしまうが、そんな人は誰もいないだろう。
なぜなら我々の心は絶えず揺れ動く習性を持っているからである。
ここから最後まで会陰を軽く引き締めたまま読むという挑戦を是非してみてほしい。
揺れ動き続ける心に操られてほとんどの時間「なんとなく生きてしまう」のが人間の性。
そして、その心の変動を休止する技術がYogaであり
たくさんの異なる声が聴こえる心の中のその最深部に眠る本音と周波数を合わせていくのがChi Nei Tsang(以降CNT)である。
共に自分の正体を思い出す修行と言ってもいい。
マットの上でヒーヒー言いながら不思議な体勢で行うストレッチがYogaの本質ではないし
ただただリラックスしてお腹を触ってもらうデトックスを促すだけのマッサージがCNTではない。
意識的に生きていく、全身全霊で生きていく訓練とも表現できる。
つまり、どちらもまさしく学びの場である。
学ぶとは、忘れなくなるまでの過程
YogaとCNTを合わせた150分間、最も繰り返し伝えたのは「呼吸に意識を向ける」ということ。
なぜ繰り返したかといえば、大切なことでも些細なことでも、忘れる天才である我々人間は
頭で理解した気になってもついつい実行することを忘れてしまうからである。
人が何かを学習・習得する際には四つの段階があると言われている。
「できないということがわからない」第一段階
「できないということを知る」第二段階
「意識すればできる」第三段階
「意識しないでも自然とできる」第四段階
この最終段階を「マッスルメモリー」と生理学では表現する。ついに記憶されるということ。
映画『ベスト・キッド』さながら、ひたすら反復して修練を積んで初めて人は何かをついに身につけることができる。
何度も何度も「呼吸に集中して」とか「呼吸に意識を向けて」とか「丁寧に呼吸して」と言われることで
そして言われる度に「呼吸浅くなってる」とか「また息が荒くなってた」とか「あ、呼吸止まってた」という気づきを繰り返しながら
呼吸に意識を向け続けることで、気づいた頃には心が落ち着き、平穏な境地に辿り着く。
我々が呼吸する息は「自らの心」と書く。
呼吸を通して、自らの心の手綱を握っていく、これはYogaとCNT共通の基礎かつ最重要項目と言える。
呼吸という瞑想は、身につけるのにすごく時間のかかる修行である。
あの150分間だけで、完全に平静な心にまで到達することはもちろんできないけれど
確実にいつもよりも静かで穏やかな心の有り様に気づかれた方はいただろう。
Sat Chit Ananda——永遠の至福なる意識
「Sat Chit Ananda サッチッタナンダ」という言葉を聴いたことがあるだろうか?
サンスクリット語でSatは真実、存在、現実、永遠、Chitは意識や魂、Anandaは至福を意味する。
平易な言葉にしてしまえば、「魂——自己の正体——は永遠の至福である」ということ。
WSの感想をみんなでシェアしていた時に「とにかくすごく幸せを感じた」と嬉しそうに教えてくれた方がいた。
この方はこの自己の源泉にアクセスできたのかもしれないし、もしかしたら、普段の何倍もの酸素を全身に供給できて
一つ一つのAsanaに集中したことで、瞬間瞬間に充足感があったのかもしれない。
インド哲学の一つの結論かつ同時に基盤Sat Chit Ananda。
果たしてどうしたらこの真理が心に、身体に刻まれるだろうか。
焦らさずに言ってしまうと、その答えは呼吸という瞑想であり
そこで出会う感情、記憶、感覚と正直に向き合い、手放し、まやかしの手製自我を越えることである。
そして、その先で直感的に気づく境地がSat Chit Anandaだと思っている。
この美しい直感を「無私の知らせ」と呼んでいる。
偽りの自我=私が無くなることは至福なのだ——他に呼んでいる人はいないので、是非積極的にそう呼んでほしい。
修行に終わりはないという朗報
さて、どうだろう。今、あなたの会陰は引き締められているだろうか。
歩き方や自転車の乗り方のように一度覚えたらよっぽどのことがない限り忘れることのないものと違って
意識的に生きる、全身全霊で生きるという在り方は世界一忘れやすいことかもしれない。
会陰を引き締めることはそのいい例と言える。ゆえに、この類の修行ほどやりがいのあることは他にない。
YogaやCNTなど、伝統的な「最高の生き方」の修行は英語で「Spiritual Path魂の道」と表現される。
それが意味するのは肉体ではなく、魂——Sat Chit Ananda——こそが自分の本質、正体だと気づき
その自覚の元に生きていくということである。
YogaもCNTも確実に歩みを進めることは可能だが、はっきり言って終わりはないように感じる。
終わらせるためにやるのではなく、やるべきだからただただやるのが修行である。
願わくばYogaの修行や自らのお腹に手を当てて耳を傾けることをあなたの日常に入れてもらえたら
その叡智へと繋がる道を伝えるものとしてこれ以上に嬉しいことはない。
ちなみに、会陰を引き締めることをMula Bhandaムラ・バンダと言う。
Mulaは「根っこ」を、Bhandaは「鍵をかける」を意味する。
人生という大木を豊かに太らせたいと思うなら、根っこを揺るぎなく張り巡らそう。
今日も呼吸に意識を向けて、Mula Bhanda会陰を引き締める時間を少しでも伸ばしてみてほしい。
難解な哲学もYogaの一つの魅力ではあるし、興味のある人には是非経典を手にとってほしいけれども
それ以上に真心を込めてただただ日々の呼吸の奥底に流れる愛を、至福を感じてもらいたい。
変化し続けるありがたき学びの場に、そして自分の正体に気づかせてくれる最高の贈り物
この身体と心にとめどない敬意を。
Hare KRSNA