うつしき

うつしき

対 話 - 督田 昌巳 [ 前 編 ] -

鹿児島県でアトリエを構え、木材を用いてものづくりをしている督田昌巳さん。
 
ギターを弾き、古い車を直しながら乗り、波があるときにはサーフィンを楽しむ日々。
 
いつだって言葉よりも、見たり聴いたり、肌で感じることを大切にしてきたこれまでの歩み。
 
ひとりひとりが備わっている、感じる力について伺いました。

督田 昌巳
鹿児島県を拠点に、木材を用い、器をはじめとする小物や家具を制作。事象を音で捉え、自然の中で偶然生まれた産物を作品として映し込む。時には朽ちた木を使い、錆漆で表情を付けた作品は、その木が生き抜いた過去の時間そのものであり、生きてきた証。何の作為もなくただ淡々と、微かな音に耳を傾けながら手を動かす。

「壊わしたものより壊れたものが好き」と、アトリエからの眺めには、以前乗車していたルノーの古い車が風景の一部に。

普段の作業時は音楽を聴きながら。「アナログしか聴こえない音域がある」と、音楽はレコードプレーヤーでかけた音源をカセットテープに再度録音をして、ラジカセで聴く。

作りたい形は言葉に残すのではなく、図にして表す。

高い空。深い海。暗闇ではない深い蒼さを求め、アトリエから近い海に波乗りへ。

頭で考えるのではなくこころで感じること


インターネットに常時繋がり、モノで溢れているこの世界。

いつでもどこでも欲しいモノが手にはいるという環境の中で、足りないから、何かを買ってくる。欠けているから何かをプラスする……。

それが当たり前と思えてしまう世の中で、督田さんは、「豊かさをモノに求める限り、それが満ち足りる事はない」と言います。

モノづくりの過程で大事にしているのは、頭で考えるのではなくこころで感じること。

ギターを弾いたり、サーフィンや稽古している茶道も、感じ取る力を磨いていくため。

感じたことを考える


少し前の時代は、何かわからないことがあったとき、あるはずのものがそこにないとき、自然に想像力でそれを補おうとします。何を補うかは人それぞれ。

「ものごとに対して感じる前に調べてしまうことは、もったいないことだと思うんです。言葉だけであれこれと “考える” ことに慣れてしまうと ”感じる”ことを止めてしまう気がしています。人間が幸せに感じる力って、モノの質量ではなくて、人の心にどれだけ響くか。昔の人は、日常の身の回りの些細なことから感じ取る力があって、ちょっとしたもので充分幸せに感じられたんじゃないかなと想像しています」。
「僕もググったりするんだけどね」と、真剣な話をしたあとに、最後は少し冗談ぽく笑いを誘ってくれる督田さん。大事なのは、自分が感じたことを信じるということ。とてもシンプルなことを忘れないために。

たとえ言葉で説明できなくても

見た目はまるで陶器のような仕上がりなのに、手に取ると木製のため軽いことに驚く。色が濃く変化したり、角がとれて丸みを帯びていったりなど、木は時間の変化が顕著に見える素材。「木材は使えば使うほど、美しくなっていきます」。ゆえに手入れをしながら、長く使えるものも大きな魅力のひとつ。
「僕が感じるほんとに美しいものは、いつだって気がついたところより少し奥にあります。そして必ずどこかが壊れてる」。

督田さんの作品に用いられる木材には、朽ちやスポルテッド (木が倒れた後、バクテリアなどによってできる黒い筋状の模様) が入っている作品が幾つかあります。緻密な年輪、節や朽ちは、その木が生き抜いた過去の時間そのものであり、生きてきた証です。

「形そのものから何かを感じられる無垢なこころが大切で、形の歴史は考察すべきではあるけど評価の対象ではなく、考えるのではなく感じること。そういった力がモノにはある思うんです」。

6月19日(土)より開催される『督田 昌巳 展』。

督田さんの手により生み出された木の器や小物などの作品群が並びます。

みなさんは作品を手に取り、どんなことを感じ、そこから想像するでしょうか?

今回の対話を終えてアトリエの入り口にあった大きな蜘蛛の巣。「美しいから」という理由で、壊さずに自然のまま残していた督田さん。「豊かなモノがなくともこころを豊かにしてくれるたった一つのモノがあればそれでいいんだと思います」。督田さんの話や作品を手にすると、些細な日常の中に、小さな幸せや喜びはたくさん詰まっていると気づかされます。次回の後編では、木製の作品ができる過程について執筆を予定です。
聞き手・文 : 小野 義明

[ 展示会情報 ]

督田 昌巳 展
日程
2021年6月19日(土) – 6月27日(日)
期間中休みなし
作家在廊日
19日(土)
時間
13:00-18:00