うつしき

うつしき

対 話 - 㓛刀 匡允 -

2022年10月。暖かさと涼しさが程よく包む頃合、自身初となる個展を終えた㓛刀匡允(くぬぎ・まさみつ)。

竹や樹皮を用いた籠をはじめ、木こりでもある彼が切り出した銀杏のまな板などが並んだうつしきの空間には、清々しい命の風が吹いていたように思う。彼の作品群を目の当たりにして感じるのは、静けさと鼓動、そして優しさ。一見矛盾するように思える3つの性質は、矛盾なく真っ直ぐにそこに存在していて、手に取るものの内面を引き寄せていた。今ここにひとつしかない、そういうもの。けれど“一点物”という言葉とは僅かに違うような、光を滲ませたもの。

こういうものを作る人は、一体どんな人なのだろう。
純粋な好奇心を胸に、功刀匡允が歩んできた道や触れてきた景色についてその一端を伺いました。今展で初めて彼を知るすべての方へ、お届けします。
初冬の陽だまりに腰掛けて、ぜひご覧ください。

そこに生活は伴っているのか


―㓛刀匡允として初となる個展開催、どんなお気持ちですか?
㓛刀:展示会が決まった今年の3月から気持ち的にはずっと準備していたので、ついに来たなという感じです。初めてのことだし、どのくらいの気持ちやリズムを向けていけばいいのか分からない中でここまで来て。ただ、展示会といえば“自分を表現する場”なのかと想像していたけど、実際はそんなことより、ここに関わる沢山の人がいて成り立っているんだという感謝の気持ちが強いかな。いろんな人が動いてくれて…感謝しています。

―ありがとうございます。そもそも、マークさん(愛称)がものづくりの道に入ったきっかけを教えてください。
㓛刀:元々は服飾の専門学校に行ったことが始まりで。デザインやパターンを学んでいました。

―そのまま服飾デザイナーやアパレル方面には行かなかったのですね。
㓛刀:当時、専門学校には1学年約3000人いるような環境で、その中で悶々と「本当のお洒落ってなんだろう?」と考えていました。仲間も僕も洋服が大好きで、だからこそみんな食費や生活費を削って全身ハイブランドを着たり、こだわった服装をしたりして。けれど、どれだけ高価なものを身に纏っていようとも、食べるものはコンビニやファストフードという状態に、ギャップを感じていたんです。

―はい。
㓛刀:当時旅したロンドンやパリのブランドショップが立ち並ぶ街で、日本とのギャップを目の当たりにしたことも大きかったです。ロンドンやパリでハイブランドを身に纏う人には、相応の生活感が出ていたんですよ。ある種、敷居がすごく高いということでもあるけれど、ブランド街にはお金持ちしかいなくて、食べるものもしっかりしたものを食べているような感じで。

―違和感があった、と。
㓛刀:その時期、日本人が“洋”服を着ることさえもコスプレ染みて見えるような感覚で、生活が伴っていない独特なものに感じたんです。そこから、もっと生活に目を向けたいと思うようになりました。

内側によって形作られるもの


―それで、生活と向き合うように?
㓛刀:自分の生活を豊かにしたいという想いを持ちながら、飲食店で働いたり北欧家具をメンテナンスして販売するスタジオで働かせてもらったりしている頃、デンマーク家具の存在と出会って、デンマークに行きたくなって。豊かで美しい生活のものをデザインする人がどういう日常を過ごしているのかを知りたいという気持ちでした。

―デンマークでは何か得られたのでしょうか?
㓛刀:ある学校との出会いが衝撃的でした。そこは社会問題や環境問題、戦争や平和について自分より若い子たちが真剣に話しているような学校で、その姿にすごく影響されて。それまでの自分は何らかで“自己表現”をしようとしていて、使う資源や自身の行為について深く考えられていなかったと気が付いたんです。そして、考えれば考えるほど“自己表現”が自己中心的に思えて、どんどんものづくりから離れていきました。

―美しいものづくりの背景を訪ねた旅が、むしろものづくりから離れるきっかけになったとは。
㓛刀:「矛盾なく生きるにはどうすればいいか?」と問う中で辿り着いたのはヨガ。自分の知恵と身体と場所があれば生きていけるし元々すきな旅もできるしという感じもあって。その後生活したニュージーランドのリトリートセンターでマインドフルネスと出会い、瞑想も始めるようになって、興味関心は内側世界に向かっていきました。今でもものをつくり始めるまえに、“こころを整える”ということは必ずやっています。


―こころを整える。
㓛刀:内側がちゃんとあると、外側ができる。外が形作られるのは、内側がしっかりあるからだということに、ニュージーランドのリトリートセンターを去る時に声を掛けてくれたシスターの言葉でハッとしたんですね。なにかを作ることや必要な条件ばかりに意識が向きがちだけれど、内側こそ大切なのだと。当時自分でリトリートセンターを開きたいと思いながらもどうすればいいか尋ねたときに返ってきたメッセージでした。

―具体的にはどんなことをされているのですか?
㓛刀:例えば朝10分間必ず座って内観して、心を鎮めたりあれこれ考えていることを整理したりします。「やればできる」という話にも繋がっていて、「本当にやる」という気持ちが中にあると、外に形が現れていくということなのだろうと。作り手の意識そのものが、つくるものには投影されているなと感じます。

暮らしを手作りする場所で生まれる、編組品


―内的世界への探求から、どうしてものづくりを再開しようと思ったのでしょうか?
㓛刀:パートナーと出会って“暮らしを手作りする”というキーワードをもらったことも影響があったかもしれません。結局は、生活や暮らしというものに戻ってきて。例えば自家用に野菜を育てるなど、生活の周りで生活に使うものを作ることも、ものをつくっている行為で。居住環境を都会から自然近くの土地へ移したことで、より一層、自分で暮らしをつくるという行為に対して「あ、そうか。」と腑に落ちて感じられるようになりました。

―なぜ、籠だったのですか?
㓛刀:なぜかの答えにはならないかもしれないけど、籠って人類の道具の中で起源がすごく古いんです。起源が古いということは化学が発達してない時期から作られているということで、すべてが自然素材で完結できて循環していくんですね。そういうところが好きで、自然とそうなりました。


―今展で並ぶ竹籠は、他で見たこともないような質感とデザインですが、どのように学ばれたのですか。
㓛刀:籠を作れるようになりたいと思い始めた当初、職業訓練校への入学も検討したのですが、2年間毎日学校に通う行為は“暮らしを手作りする”というのとはまた少し違ってくるなと感じて。そのような極め方ではなく、僕は「生活が伴う、暮らしのなかから生まれるもの作りがしたいのだから」と思い学校には通わず、竹細工の先生が開く教室で習うことを選びました。その先生がすごく魅力的なひとで、佇まいや言葉遣いを感じに通っていると言っていいほど、技術だけではないことも学ぶことができて本当に良かったです。

―マークさんのことは、何をつくるひとと呼べばいいのでしょう…
㓛刀:僕自身は「編組品をつくりたい」と思っています。布も竹籠も同じで、自然素材を取り出して、縦と横に編んだり組んだりして成り立つ日用品のことです。なので、籠以外にもいろんな素材で編むことをこれからしていきたいと思っています。

―次回の展示が楽しみです!ありがとうございました。
㓛刀:ありがとうございます。

今回の対話を終えて
彼の籠を初めて見た瞬間、籠が纏う空気の清々しさに心奪われた感覚を今でも鮮明に思い出します。デザインだとか、素材だとか、強度だとか、そういうことよりも前に受け取ったものが確かにあったのです。そしてそれは、デザインや、素材や、強度といったことにも誠実に向き合う人が作っているのだということがすぐに分かりました。愛息子、習くんを抱いてインタビューに答えてくれた彼の眼差しと笑顔が、語られる言葉にぴたりと一致していて、彼が生み出す作品のエネルギーに納得するしかありませんでした。

㓛刀匡允、次回の展示は2023年12月。今回見て頂けた方も生憎見ていただけなかった方も、ぜひお楽しみに。ああ、来年の冬が待ち遠しくてたまりません!

聞き手・文 : のせるみ

[ 展示会情報 ]

㓛刀 匡允 展
2022年10月22日(土) – 10月30日(日)