東京都福生市にある取り壊される予定であった米軍ハウスに住み、理想の土地「 黒 姫 」に出会った 「 未 草 」の小林寛樹さんと庸子さん。それまでの軌跡を辿ったインタビュー前編に続き、後編では自らの手で開拓にあてる日々のこと、これからの未来についての話を中心にご紹介します。
──初めて「 黒 姫 」の土地を訪れ、そこから何を始めるのでしょうか。
庸子さん : 町には不動産屋もなかったので、当てもなくとにかく通いました。そうしているうちにある人とすれ違い、その人から今の土地の持ち主と繋がることができました。その出会いがなければ、今には至っていませんでしたね。まるで運命に導かれているようで、「 黒 姫 」の土地を訪れてから、ひと月の間に今の場所に出会い、2ヶ月目には、鎌とのこぎりを持って開拓を始めます。
寛樹さん : 開拓は理念や思想のもとに始めたわけではありません。10数年探してきた理想の土地にようやく出会えた。しかしその辺りの拓けている土地にはどうがんばっても手が届かなかったのです。悔し涙を流したこともありましたし、自分たちにはしょせん無理な話と諦めかけた事もありました。理想の地だとわかってはいるのに、どうすることもできない。そんな追い詰められた状態で生まれた発想の転換、それが開拓でした。ジャングルのような手つかずの森を自分たちで切り拓けばそこに住める。そのことに気づいてからは早かったです。出来るとか出来ないとか関係なく、この地で暮らしたい、ただその一点を見ていました。そうして開拓は始まりました。
──いま現在までの状態に至るまで、期間はどれくらいになりますか。
寛樹さん : 8年間ですね。通いながら作業を進め、寝泊りは車の中で。土地を切り拓くのに5・6年かかりました。家を建てる場所だけならもっと早かったのですが、将来的に馬や羊を飼うという夢があり、畑もするのである程度の広さが必要でした。豪雪地帯ということもあり、一年のうち半分近くは雪に埋もれ、作業はできません。また、かなり大きな岩もたくさん出る岩だらけの土地でした。木々の根を抜き、その岩たちを動かすことにもとても時間がかかりました。
庸子さん : また並行して将来の家の材料となる廃材を集めることにも時間を費やしてきました。近隣の米軍ハウス、友人の実家、蔵、古い氷工場や造船所など、壊されていく建物があると知っては、捨てられゆく廃材たちをもらいに行きました。その量はトラック10台分以上にもなり、それらを保管するための小屋を今3棟建てています。最後の解体は自分たちが長らく住んでいた米軍ハウスでした。大家さんのご厚意でひと月の時間を頂き、自らの手で解体をしました。日中解体を進めては、トラックに積み、夜間に運ぶ、そんな日々を過ごしていました。言葉にするとなかなか伝わらないのですが、8年間の中でも思い出深いきつい時間でしたね。
──「 黒 姫 」に移住を行い、開拓・生活している中で作品・精神的な面での変化はありますか。年月が経ち変化したものの見方などありますか。
庸子さん : 自ら開拓を行う、ということを通して、多くの先人たちが作ってきた風景への見方が大きく変わりました。ある日、精も魂も尽き果て山から下りてきた時、いつも見慣れているはずのどこまでも広がる田んぼの風景に涙が溢れ止まらなくなりました。こんなにも広大で真っ平らな土地を作るのにどれだけ多くの人のどんなに苦しい時間があったのだろう。
そして自分たちの土地の見方も変わりました。場所的に伐らざるを得なかった木たちの形や感触、立ち姿は今でも忘れられません。森が形成される時間の重みを感じられ、一生過ごす土地への想い入れは一段と深いものになったのだと思います。肉体的に苦しい時期ではあったのですが、その経験は今では宝のような時間です。
寛樹さん : 自給自足で暮らしていたオーストラリア人のように、身の回りの自然のものと廃材で、暮らしにまつわる全てを作り生きていきたいという思いが最初からありました。なので開拓をして変化したというより、目指していたものに自分の土地を得たことでようやく近づけた感じです。米軍ハウスに住んでいた頃は、廃材中心のものづくりでしたが、これからはより自分で倒した木や、掘り起こした土や石などが材料となっていくことでしょう。
──理想の土地に出会い、そこに根を下ろすことを決め、自ら森を開拓し、現在は家造りに進んでいる途中ですが、今後のどのような未来を描いているのでしょうか。
寛樹さん : 「未 草」の活動は多岐に渡り、自分たちでも説明が難しく、こういう事を目指していたのかと真に理解してもらえるのはおそらく30年はかかると思っています。少なくとも原型を示すのに12年くらいかかるはずです。
庸子さん : 寛樹さんからその話を聞いた結婚当初は、30年という月日が途方もない先のように思えました。しかし実際に手を動かしていくと、それだけの年月がかかるのだと、今は実感しています。
寛樹さん : 自然の中で自らの手足を頼りに生きた人々の、生き方や作るものにどうしようもなく惹かれます。その深い精神性や美しさに近づきたいし、そういったものがこの世から消えて無くなろうとしている今、それらを少しでも多くこの世に残したいという思いがあります。そんな生き方に少しでも近づくことによって、少なくない人達が共感してくれその輪がだんだんと拡がっていってくれることを願っています。自分たちだけではとても守れないし残せないものがたくさんあるのです。だから一人でも多くの人と想いを共にできるよう、これからもひたすら地道に活動を続けていこうと思っています。それが自分に与えられた人生のような気がするのです。
庸子さん : 私たちはたまたまこういう人生を歩んでいますが、全ての人が同じように生きなければいけないとは全く思っていません。人は生まれた各々の環境やその人が持つ様々な出会いの中で生きています。それでも気づきや価値観、想いの部分は共有できると思うのです。
寛樹さん : 日本はもう十分に恵まれています。あとは既にあるものと自然のものを上手に利用するだけで、人はもっと豊かに、幸せに、そして美しく暮らせるものと信じています。多くの幸せや豊かさは手を伸ばせば届くところにあるものだと思うし、身の回りの自然は美しさに溢れています。現代の社会に生きる私たちにはそれが見えにくくなっていて、貧しいと言われる国々の田舎を旅するとそこに気づかされてハッとすることが多々あります。そういった気づきを喚起するようなもの作りや生き方をしていけたらと思います。本当に大切なもの、かけがえのないもの、美しいものというのは実はすぐ身近にあるものだと思うのです。
今回の対話を終えて
お二人の作品、言葉、これまでの軌跡を辿ると、本当の美しさ、豊かさ、幸せとは身近なところに宿るものだと実感します。「自ら作る暮し」に傾けられた多くの時間と人生をかけて取り組む信念。効率化にに囚われすぐに結果だけを求めるいまの時代に、手間をかけるという行為と時間こそ、本当にかけがえのないものであると気付かされます。この対話が、お二人の考え方を知るきっかけになり、一人でも多くの方の中に在り続けてくれたとしたら嬉しいです。次回の展示は2019年を予定しております。今からその時が待ち遠しいです。
航 跡 ― 未 草の8年 ー
子供の頃「大草原の小さな家」がたまらなく好きだった。
アメリカ開拓時代、大自然のなか家族皆で助け合いながら
たくましく生きていく姿に「生きる」原点を見た。
草原を望む信州の森を夫婦で開拓し始めたのが2010年。
自らの手足を頼りに生きたいというたっての願いを胸に
ようやく馬や羊を放牧するための土地を伐り拓いた。
若さだけを頼りに、ただただ必死に息もせず
草の大海原を漕いできたような8年間だった。
ふと後ろを振り返ると、いつの間にか
遠くまで尾を引いている白い航跡が確かに見える。
波に揉まれた苦しい道程ではあったが、今となっては
二度とたどることの出来ない眩しい風景ー。
本展ではあえてテーマを絞らず、そこに光を当ててみたい。
初期の作品から新作、大物から小物、生活道具から彫刻といった
未草の8年間の歩みがすべて見渡せるような展示。
美しい光射す、もと古い鶏舎の「うつしき」に浮かび上がる
二筋の航跡を皆さんと共に眺めてみたい。
未 草 小林 寛樹
日 時 平成29年9月16日(土)〜 24日(日)11時〜18時
〈会期中無休、 作家 16 日(土) ・17 日(日)在廊 〉
場 所 うつしき 〒 822-0112 福岡県宮若市原田1693
電 話 0949-28-9970
H P https://utusiki.com
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作 家 https://www.instagram.com/hitsujigusa_